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名所旧跡・福岡地区東部
 【長者原の戦い復興の碑-粕屋町長者原-



「復旧の碑」と「長者原古戦場の標」

復旧の碑

征西将軍宮懐良親王、正平十七年1362(貞治元年(607年前)十月御所の陣に陣し肥後守菊池武光公に随い一万四千を率い大宰府を発し 九州探題氏経等一万八千豫め筑前に至り十月三日此の地一帯の長者原に両軍相対陣し四日黎明合戦 古書に鯨波地を動かし馬風天を掩ふとあり武勝敗色濃厚なるを武光愠り交戦数刻之を挫き(首二千三百級を得)探題等以下豊前に退く五日将軍宮御陣を宰府に移す

長者原古戦場の標は圑地造成により破壈放置されてゐたので長者原の有志相謀りその由来を永久に伝えるため此の地に再建したるものなり

昭和四十四年五月     長者原 昭和會

「復旧の碑」より
豫め・・・あらかじめ  黎明・・・明け方  鯨波・・・兵士の鬨の声  馬風天を掩ふ・・・馬の動きで起こった風が空を覆う  武勝敗色濃厚なる・・・敗戦が濃くなると  愠り・・・怒り  挫き・・・くじき  破壈・・・はらん・壊され忘れ去られる事


































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スポットライト人物伝


【高山彦九郎(たかやまひこくろう)】
(1747年~1793年)


江戸中期から後期にかけての草莽の勤皇家で「寛政の三奇人」のひとり。40代半ばで九州を遊歴し王政復古を説き、幕府を批判しますが幕府の圧力があったのか久留米に滞在中に自刃し最期を迎えます。しかしその思想は70年後の尊王攘夷運動に大きな影響を与えます。長州で維新の原動力となった志士たちを育てた吉田松陰の号は彦九郎の諡(おくりな)「松陰以白居士」より取られたものと言われています。



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