福岡人物伝 【佐伯連男(さえきのむらじおとこ)】「壬申の乱(672年)」で大友皇子の意を受け筑紫に派遣され、筑紫率の栗隈王に援軍を出すよう命令した人物です。栗隈王がこれを拒否したため佐伯連男は栗隈王を斬ろうとしますが、護衛が栗隈王のそばから離れようとしなかったため果たせず筑紫を去りました。 想像になりますが、この人物は「乙巳の変(645年)」に関わった佐伯連子麻呂(さえきのむらじこまろ)の近親者と思われます。
「壬申の乱(672年)」で大友皇子の意を受け筑紫に派遣され、筑紫率の栗隈王に援軍を出すよう命令した人物です。栗隈王がこれを拒否したため佐伯連男は栗隈王を斬ろうとしますが、護衛が栗隈王のそばから離れようとしなかったため果たせず筑紫を去りました。 想像になりますが、この人物は「乙巳の変(645年)」に関わった佐伯連子麻呂(さえきのむらじこまろ)の近親者と思われます。
【月形洗蔵(つきがたせんぞう)】(1828年~1865年)儒学者の家庭に育ち、王政復古の思想を掲げ参勤交代の不要を藩主黒田長溥に建白しますが、 これが長溥の怒りを買い蟄居させられます。しかし三条実美ら五卿福岡遷座の際には罪を許され、 下関まで五卿を出迎えに行くことを命じられています。
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