Mousegallery




名所旧跡・朝倉・うきは
 【浮羽島-うきは市-



浮羽の田園にある浮羽島

【浮羽島の由来】

日本の一番古い正史、日本書紀や八世紀に出来た風土記に次の説話が記されています。
 景行天皇の十八年八月(おおよそ1900年前) 九州御巡幸の時、天皇は八女からこの地にお出になって御食事をなさいましたが、 お供のお料理番たちが盃を持って来るのを忘れていました。
 天皇は、「惜(あたら)しきかも、朕が酒盃(うき)はや」(おしい事をしたものだ、私の盃を忘れたとは)と嘆かれました。その頃さかずきを「うき」と言っていました。それ以来この地を「宇枳波夜(うきはや)」の郡と呼び、なまって生葉、浮羽と呼ぶ様になり、村名・町名・郡名の もととなりました。
 ここには天皇の杖が根づいたと言われる逆杉があって、台風や落雷で枯れても住民たちが植えついで大切にしてきました。浮羽の地が古代から中央の史書に記されていることは意義深いことでしょう。

うきは市教育委員会

「浮羽島の由来」案内板より

位置はJRうきは駅の西方1㎞ほどの所です。国道210号線、土取の信号機の一つ西側の小さな交差点を南側に入り、200mほど進んだ右手になります。
国道210号線の入口には「浮羽島入口」の水色の看板が出ていますので見落とさなければすぐにわかると思います。


































福岡史伝へのアクセスにはこのQRコードをご利用ください
https://www.2810w.com


スポットライト人物伝


【佐伯連男(さえきのむらじおとこ)】
(?~?)


「壬申の乱(672年)」で大友皇子の意を受け筑紫に派遣され、筑紫率の栗隈王に援軍を出すよう命令した人物です。栗隈王がこれを拒否したため佐伯連男は栗隈王を斬ろうとしますが、護衛が栗隈王のそばから離れようとしなかったため果たせず筑紫を去りました。
想像になりますが、この人物は「乙巳の変(645年)」に関わった佐伯連子麻呂(さえきのむらじこまろ)の近親者と思われます。




このページは ClubTwinHut が運営しています


© 2011 福岡史伝