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名所旧跡・朝倉・うきは
 【浮羽島-うきは市-



浮羽の田園にある浮羽島

【浮羽島の由来】

日本の一番古い正史、日本書紀や八世紀に出来た風土記に次の説話が記されています。
 景行天皇の十八年八月(おおよそ1900年前) 九州御巡幸の時、天皇は八女からこの地にお出になって御食事をなさいましたが、 お供のお料理番たちが盃を持って来るのを忘れていました。
 天皇は、「惜(あたら)しきかも、朕が酒盃(うき)はや」(おしい事をしたものだ、私の盃を忘れたとは)と嘆かれました。その頃さかずきを「うき」と言っていました。それ以来この地を「宇枳波夜(うきはや)」の郡と呼び、なまって生葉、浮羽と呼ぶ様になり、村名・町名・郡名の もととなりました。
 ここには天皇の杖が根づいたと言われる逆杉があって、台風や落雷で枯れても住民たちが植えついで大切にしてきました。浮羽の地が古代から中央の史書に記されていることは意義深いことでしょう。

うきは市教育委員会

「浮羽島の由来」案内板より

位置はJRうきは駅の西方1㎞ほどの所です。国道210号線、土取の信号機の一つ西側の小さな交差点を南側に入り、200mほど進んだ右手になります。
国道210号線の入口には「浮羽島入口」の水色の看板が出ていますので見落とさなければすぐにわかると思います。


































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スポットライト人物伝


【豊臣秀吉(とよとみひでよし)】
(1537年~1598年)


織田信長の部下として頭角を現した秀吉は、信長の死後その領地をほぼ継承し、四国を手中に収めると次に九州平定に着手します。 そして1587年に島津義久を降すと筑前へ戻り、「博多町割」と呼ばれる復興を行います。 権力掌握後の秀吉に対しては様々な評価がありますが、海外貿易を重視する秀吉に対する博多商人たちの期待と信頼の気持ちは大きなものだったと思われます。



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