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意外な話
 【巌流島は豊前領だった!(江戸時代)-現在の島の住人は?-

巌流島の住人?
宮本武蔵と佐々木小次郎が対決した巌流島は山口県の観光名所として有名ですが、江戸時代は豊前小倉藩の領地だったということです。これは「関ヶ原の戦い」で敗れ徳川家より本州の西の片隅に押し込められて不満を持つ毛利家を牽制するため方策だと想像されるのですが、実際のところはどうなのでしょうか・・・。
ところでこの巌流島は東西に250m、南北に500m程の小さな無人島で、現在では北東部の半分が公園として整備されています。そしてこの小さな公園にはなんと意外な事に野生のタヌキが住み着いているのです。ずっと以前に私もこの噂を耳にしていたのですが、まさか僅かばかりの土地しかない無人島に野生のタヌキが生息できるはずがないと高を括っていました。しかし数年前に観光でこの島に渡った時に渡船場の近くの小さな木立の中から可愛い子ダヌキが顔を出しているのを発見しました。そのつぶらな瞳で見つめられるとなんで袋菓子でも持って来なかったのか非常に後悔した覚えがあります。もし巌流島観光の予定がある方は、ぜひ船に乗り込む前にコンビニでエサとなるものを購入しておく事をお勧めします。子ダヌキに確実に会えるかはわかりませんが・・・。
子ダヌキ兄弟
また案内板によるとこの巌流島では坂本龍馬とお龍が花火を打ち上げて楽しんだという逸話も残っているようです。
先ほども書いたように巌流島は島全体を一望できる程の小ささなのですが、この様に見どころ満載の観光名所となっています。




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スポットライト人物伝


【高場乱(たかばおさむ)】
(1831年~1891年)


男子として育てられた男装の女医で、かつ教育者。金印の鑑定をした亀井南冥の学派の塾に学び、後に興志塾を起します。 「福岡の変」には塾生から多く者が参加しています。そして1889年に教え子の来島恒喜(くるしまつねき)が大隈重信暗殺未遂事件をおこし自決すると、 来島の死を嘆きながらも「匹夫の勇」と厳しい言葉を投げかけています。



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