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名所旧跡・久留米
 【首名塚-久留米市大善寺町夜明神社内-



夜明神社内 首名塚

首名塚

道君首名は奈良時代はじめの貴族で、筑後国の初代の国司です。首名は国司として人々に農業の指導や灌漑の便を図るなど、民生の安定につとめました。最初は指導の厳しさに不満もでましたが、しだいに成果が上がるにつれて、名国司として従うものが増えていきました。在任のまま亡くなったため、人々は彼の徳を慕って祠を建て、おまつりをしました。 これが首名塚とも乙名塚とも呼ばれているこの塚です。

首名塚の立札より
首名(おびとな)は筑後や肥後で農政の改革を実施します。法律に詳しかった首名は解り易い箇条書きの法律を発布し農民をそれに従わせます。 農民たちは年寄も若者も「野良仕事もしたことのない役人に田畑の何が解るものか・・・」と不満を言い合ったのでしょうが、1~2年で首名の政策の効果が現れ始めると、みな首名に従うようになったといいます。 そして赴任した5年目に首名は病に倒れ死去します。筑後や肥後の人々は首名に感謝し、神として祀ったといわれます。






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スポットライト人物伝


【黒田忠之(くろだただゆき)】
(1602年~1654年)


行動に何かと問題のある嫡男・忠之は黒田藩の後継者から外されそうになりますが、栗山大善の支援によりその立場を守ります。 しかし初代藩主・長政の没後に藩主の座についた忠之は栗山大善と不仲になります。 二人の関係が泥沼化すると忠之はついに大善から幕府へ訴えられます。 改易が相次いでいた時期でもあったため黒田藩も取り潰しの憂き目に合いますが、 幕閣の配慮により大善は南部藩預かりとなりことは収められました。



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