名所旧跡・朝倉・うきは
「秋月の由来」説明板より
秋月氏の祖は「藤原純友の乱」で小野好古と共に乱を平定した大蔵春実といわれ、乱平定後は大宰府より南に6㎞ほど離れた原田(はるだ)に居を構え原田氏を名乗ります。 その後、原田氏は「源平の戦い」で平氏につき敗北、源氏より所領を没収されます。 しかし将軍が頼朝から頼家に代わると原田種雄は秋月の地を与えられたため、そこに城を築き秋月氏を名乗ります。 秋月氏はそれから400年近く続きますが、豊臣秀吉の九州平定の際は島津側につき、島津降伏後に日向串間に転封されました。 明治維新期の1876年「秋月の乱」の舞台にもなったこの地は現在「福岡の小京都」と呼ばれ福岡有数の観光地となっています。 ちなみに今に残る城跡は1624年、黒田藩によって秋月氏の廃城を改修改築し支藩・秋月藩として分藩したときのものです。 |
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