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名所旧跡・太宰府・筑紫野
 【太宰府天満宮-太宰府市宰府-



901年、菅原道真は政敵の藤原時平などの勢力よって大宰府に流され、その二年後に謫居(たっきょ)で亡くなります。 遺骸は大宰府政庁東方の安楽寺に葬られ、919年その場所に社殿が建立されます。これが現在の太宰府天満宮となります。 ここに奉られる道真公は幼い頃から詩文の才に恵まれ、朝廷に上がってからもと次々と位を進めます。 この経歴より現在では学問の神として信仰を集め、受験の時期には沢山の祈願者が天満宮を参拝します。
本殿の正面脇には道真公を慕って京都より一夜にして飛来したといわれる「飛び梅」(写真正面の梅)があり、また境内には「七卿落ちの碑」、「麒麟像」などの歴史の足跡を今に伝える石碑や像、樹木が存在します。






















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スポットライト人物伝


【小早川隆景(こばやかわたかかげ)】
(1533年~1597年)


毛利元就の三男で、戦国時代の「多々良浜の戦い」では大友氏の猛将・戸次鑑連(べっきあきつら)とも戦っています。 秀吉の九州平定後は北部九州を任せられ、博多の北方5㎞の多々良川河口に名島城を築きます。 その後、養子の小早川秀秋(秀吉の正妻・ねねの甥)に名島城を譲り、自らは広島三原に戻り余生を過ごします。 この人は思慮深く、行動には慎重な人だった様で、 年下の天才軍師・黒田官兵衛を「天才にありがちな、状.....[全文を表示]



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