名所旧跡・太宰府・筑紫野 【榎社】-太宰府市朱雀-
菅原道真公謫居跡 榎社
菅原道真公は、太宰府に左遷されてから逝去されるまでこの地で謫居された。 毎年九月、菅公の御神霊はここに神幸され、一夜過ごされて翌日天満宮本殿に還御される。 榎社は、菅公を日夜お世話された浄妙院を祀る社である。 太宰府市
一從謫居就柴荊 萬死兢々跼蹐情 都府樓纔看瓦色 観音寺只聴鐘聲 中懐好逐孤雲去 外物相逢満月迎 此地雖身無検繋 何為寸歩出門行
命に従いこの謫居に移ってからは ただ恐れ入り深く慎む心情で過ごす 都府楼の瓦が僅かに見え 観世音寺の鐘の音のみが響く 心のわだかまりは孤雲と共に遥か彼方へ去り 人と会う代わりに満月を迎える この地では拘束される身ではないが どうしてこの門より外へ出て行けようか
床頭展轉夜深更 背壁微燈夢不成 早雁寒蛬聞一種 唯無童子讀書聲
床では寝返りを打つのみで夜は更けてゆく 微燈の灯る部屋、夢を見ることもできない 時期の早い雁と時期遅れの虫の鳴く声が聞こえるが もう子供の書物を読む声を聞くことはない
【毛利元就(もうりもとなり)】(1497年~1571年)主家・大内氏を倒した陶晴賢(すえはるかた)を「厳島の戦い」で破り、大内氏の地盤を手にすると次に筑前へ進出し大友宗麟と対立します。 元就は宗麟に父を殺された秋月種実に兵を与え秋月に帰還させた上、抵抗させ、 次に大友氏の有力武将・高橋鑑種(たかはしあきたね)を調略し謀反を起させます。 しかし大友宗麟の支援する大内氏残党や尼子氏が毛利の背後を脅かしたため中国へ撤退せざるおえなくなりました。
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