名所旧跡・太宰府・筑紫野 【榎社】-太宰府市朱雀-
菅原道真公謫居跡 榎社
菅原道真公は、太宰府に左遷されてから逝去されるまでこの地で謫居された。 毎年九月、菅公の御神霊はここに神幸され、一夜過ごされて翌日天満宮本殿に還御される。 榎社は、菅公を日夜お世話された浄妙院を祀る社である。 太宰府市
一從謫居就柴荊 萬死兢々跼蹐情 都府樓纔看瓦色 観音寺只聴鐘聲 中懐好逐孤雲去 外物相逢満月迎 此地雖身無検繋 何為寸歩出門行
命に従いこの謫居に移ってからは ただ恐れ入り深く慎む心情で過ごす 都府楼の瓦が僅かに見え 観世音寺の鐘の音のみが響く 心のわだかまりは孤雲と共に遥か彼方へ去り 人と会う代わりに満月を迎える この地では拘束される身ではないが どうしてこの門より外へ出て行けようか
床頭展轉夜深更 背壁微燈夢不成 早雁寒蛬聞一種 唯無童子讀書聲
床では寝返りを打つのみで夜は更けてゆく 微燈の灯る部屋、夢を見ることもできない 時期の早い雁と時期遅れの虫の鳴く声が聞こえるが もう子供の書物を読む声を聞くことはない
【平頼盛(たいらよりもり)】(1133年~1186年)平清盛の異母弟で平治の乱に活躍します。平清盛の指示により博多に人口港「袖の浦」が建造されたといわれていますが、 実際この港の建造を采配したのは1166年大宰大弐任命された平頼盛だと思われます。 ただし貝原益軒の「筑前国続風土記」には菅原道真配流の時期には「袖の浦」が存在したことをにおわす記述があり、 「袖の浦」の確かな建造年はわかっていません。 ところで頼盛はのちの源平合戦の時、平家一門と袂を.....[全文を表示]
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