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名所旧跡・太宰府・筑紫野
 【日吉神社-太宰府市観世音寺-



日吉神社

【日吉神社】
観世音寺の鎮守であり、地元ではヒヨシ神社と呼ばれる。 比叡山の日吉(ひえ)大社を分霊したもので、平安時代末には置かれていたらしい。 江戸時代の地誌によると”豊臣秀吉が九州下向の折、この日吉社に陣を張ったが、 時の観世音寺の別当は世情に疎く、秀吉の威光を憚ることなく車に乗ったまま面前に出て秀吉の怒りをかい、寺領を没収された”と伝えられる。

太宰府市
「日吉神社」の案内板より


案内板に記載されている「江戸時代の地誌」とは貝原益軒の「筑前国続風土記」のことで、この神社は「山王社」の名で紹介されています。 その中には「豊臣秀吉は島津を降伏させ筑前に戻ると、安楽寺(太宰府天満宮?)に詣でるが、 その時この神社に陣をとった。」といったことが書かれています。
ところで寺領を没収された観世音寺の別当は、秀吉の威風を知らなかった訳ではなく「軍は仏法を犯すべからず」といった意識が強かっただけなのかもしれません。 そして秀吉は九州を平定し天下統一を目前にしたこの頃より徐々に明朗快活な性格を霞ませながら権力の虜となってゆくことになるのです。





















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スポットライト人物伝


【グラバー(ぐらばー)】
(1838年~1911年)


イギリス商人で倒幕派に武器の販売なども行いますが、維新後は自分の会社の倒産を経験します。 基本的に日本は好きだった様で、日本人女性と結婚し日本で終焉を迎えます。 このグラバー氏、太宰府天満宮を数回訪れてその度に「麒麟像」を長い間、眺めていたという話が伝わっています。



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