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名所旧跡・太宰府・筑紫野
 【戒壇院-太宰府市観世音寺-




【戒壇院】
「戒壇院は『天下の三戒壇』の一つとして天平宝字5年(761)、筑紫観世音寺境内の西南角に設置された。唐僧鑑真は5度渡航 に失敗し、身は盲目となりながらわが国に戒律を伝え、天平勝宝6年(754)奈良東大寺に戒壇を設けた。 ここ西戒壇は、下野薬師寺の東戒壇と同年に創設され、九州の僧尼たちの登壇受戒の道場として継承されてきた。 江戸時代、寛文年間より黒田藩家鎌田昌勝、豪商浦了無等によって再興が続けられ、現在に伝わる開山鑑真和上像、本尊脇侍、 梵鐘なども新造された。元禄16年(1703)藩命によって博多禅宗四ヶ寺の管理となり、観世音寺をはなれ、現在は博多聖福寺 の末寺となっている。なお本尊廬舎那仏は平安時代の作で国の重要文化財に指定されている。」            

’95 太宰府市
           「戒壇院」案内板より


鑑真和上は日本僧の栄叡、普照の要請により743年より日本へ渡航を試みます。しかし弟子の反対や嵐により5度の失敗を繰り返し、753年ようやく渡日に成功します。1回目の渡航計画より11年の月日が流れていました。
九州に上陸した鑑真和上はまず大宰府の観世音寺に入り、初の授戒を行います。翌年には奈良東大寺に去りますが、18年後の761年、初の授戒を行った場所に戒壇院が建立されました。


本堂

戒壇石

鐘楼

戒壇院の門の傍らにある石柱(中央の写真)には、「不許葷酒肉入境内」と彫ってあります。 おそらく「境内に葷、酒、肉を入るを許さず」といった内容で当時の戒律の厳しさが偲ばれます。


































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スポットライト人物伝


【島津貞久(しまづさだひさ)】
(1269年~1363年)


「元弘の乱」で少弐貞経、大友貞宗と共に鎮西探題・北条英時を攻め滅し、「多々良浜の戦い」では足利軍に属して戦います。 島津氏は少弐氏、大友氏と共に鎌倉時代に守護を命じられ少弐氏は九州北西部、大友氏は北東部、そして島津氏が九州南部を治めます。 この三氏は九州御三家と呼ばれ九州の中心武家として戦国時代まで存続しますが、江戸時代以降も続いたのはこの島津氏だけでした。



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