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名所旧跡・太宰府・筑紫野
 【浦ノ城跡-太宰府市連歌屋-



浦ノ城跡

【浦ノ城跡】
筑前国の守護、少弐氏の居城と伝えられる。城の構えの詳細はわからないが、昭和44年、 開発に伴う発掘調査で、御笠川と、コの字形の急峻な斜面をもつ丘陵とを巧みに利用して 造られていたことが判明した。
少弐氏の六代頼尚は足利尊氏を助けて、浦ノ城北側の原山の一坊に尊氏を迎えている。
              太宰府市          

「浦ノ城跡」の案内板より

現在「浦ノ城跡」は住宅地となっており、この案内板はその児童公園内に立っています。

足利尊氏が「九州落ち」で九州に上陸した直後、菊池武敏が少弐氏の「有智山城(うちやまじょう)」を攻め落します。 その数日後の「多々良浜の戦い」で足利尊氏、少弐頼尚の軍が菊池武敏軍を撃ち破り筑前より追うと、少弐頼尚は「浦ノ城」に隣接する原八坊の一坊に尊氏を迎えます。 この時点で尊氏を「浦ノ城」に迎えなかったのは、菊池軍の攻撃で「浦ノ城」も「有智山城」と共に焼失していたからだと思われます。





















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スポットライト人物伝


【大夫(たゆう)】
(西暦57年頃~)


西暦57年、奴国王の命により後漢に派遣され金印を持ち帰った人物です。中国・南北朝時代の432年頃に記された「後漢書」には「倭の奴国、貢物を奉って朝貢す。使者は大夫と自称す。」とのみ記載されています。大夫とは人名ではなく役職の事の様で、派遣された人物の氏名は伝わっていないようです。



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