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名所旧跡・太宰府・筑紫野
 【浦ノ城跡-太宰府市連歌屋-



浦ノ城跡

【浦ノ城跡】
筑前国の守護、少弐氏の居城と伝えられる。城の構えの詳細はわからないが、昭和44年、 開発に伴う発掘調査で、御笠川と、コの字形の急峻な斜面をもつ丘陵とを巧みに利用して 造られていたことが判明した。
少弐氏の六代頼尚は足利尊氏を助けて、浦ノ城北側の原山の一坊に尊氏を迎えている。
              太宰府市          

「浦ノ城跡」の案内板より

現在「浦ノ城跡」は住宅地となっており、この案内板はその児童公園内に立っています。

足利尊氏が「九州落ち」で九州に上陸した直後、菊池武敏が少弐氏の「有智山城(うちやまじょう)」を攻め落します。 その数日後の「多々良浜の戦い」で足利尊氏、少弐頼尚の軍が菊池武敏軍を撃ち破り筑前より追うと、少弐頼尚は「浦ノ城」に隣接する原八坊の一坊に尊氏を迎えます。 この時点で尊氏を「浦ノ城」に迎えなかったのは、菊池軍の攻撃で「浦ノ城」も「有智山城」と共に焼失していたからだと思われます。


































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スポットライト人物伝


【山鹿秀遠(やまがひでとう)】
(?~1185年?)


豊前国との境、筑前国山鹿の豪族です。治承・寿永の乱では平家方に属し、大宰府を追われた安徳天皇と平家一門に最後まで付き従います。壇の浦では平家の主力として戦いますが、平家一門と運命を共にしたものと思われ、以後は歴史に登場することはないようです。ところで山鹿いえば熊本の山鹿市が有名ですが、山鹿氏は菊池氏の同族といわれることから菊池市に隣接する山鹿市と筑前の山鹿の地名には何らかの関係があるのかもしれませ.....[全文を表示]



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