名所旧跡・太宰府・筑紫野 【原八坊跡】-太宰府市連歌屋-
原八坊跡
【原八坊跡】 原八坊は、正式には原山無量寺という寺で、平安時代に天台宗の智証大師円珍と8人の弟子たちが 開いたと伝えられる。 原八坊跡は、足利尊氏が九州に落ちて来た時に、この一坊に入ったと伝えられ、また時宗の一遍上人も 12年間、ここで修行するなど、かっては大きな寺だったことが想像される。戦国時代末に消亡した。 ’93 太宰府市 「原八坊跡」の案内板より
【安達盛宗(あだちもりむね)】(?~1285年)鎌倉の「霜月騒動」で自害した安達泰盛の子で「弘安の役」の戦後処理を行なっていましたが、 「霜月騒動」の余波を受け少弐経資に博多で討たれたとも、少弐景資の岩門城で討死したともいわれています。
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