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名所旧跡・太宰府・筑紫野
 【国分瓦窯跡-太宰府市国分寺-



国分瓦窯跡

【史跡 国分瓦窯跡】   大正十一年十月十二日指定
窯跡は、池の南斜面に三基以上があったことが知られる。大正十年に発掘調査され、八世紀、大宰府政庁・観世音寺・筑前国分寺などの瓦を焼いた窯であることがわかっている。
窯は、池の斜面を利用した無段登窯(むだんのぼりがま)である。内部の壁や天井は、日干煉瓦をアーチ状に積み、その表面をスサ入り粘土を塗って仕上げている。瓦窯なので、瓦が主であるが、他に須恵器片(すえきへん)も出土している。
ところで、現在窯跡は池の水から保護するため入口を埋めているので見ることはできない。

平成七年四月一日     太宰府市教育委員会

史跡 国分瓦窯跡 案内板より


































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スポットライト人物伝


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(1582年~1602年)


豊臣秀吉の正妻ねねの甥にあたり、義父・小早川隆景の隠居に伴い入れ替わりで筑前の名島城に入ります。 「関ヶ原の戦い」では西軍から東軍へ寝返り、勝敗に大きく影響を与えたといわています。 戦後は加増され岡山に移りますが、「裏切り」の汚名を拭いきれず家臣とともに苦悩の日々を送ったと想像されます。 そして二年後には若くして死去します。 この秀秋の「関ヶ原」での行動には過去の出来事と戦いに至るまでの流れより同.....[全文を表示]



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