光雲神社 母里太兵衛像
【母里但馬守太兵衛友信像】 黒田二十五騎の一人で智勇兼備の武将で、主君長政公の命を受けて、福島正則公に使いした時 禁酒の太兵衛が、なみなみと注がれた大盃の酒を、自若として飲み干し、 太閤秀吉より拝領の福島家、家宝「名槍日本号」を持ち帰った話は有名であります。 母里家二十一代嘉道氏外有志が、主君長政公の有名な水牛の兜と当神社の社頭を固める守護像として 奉納されたものであります。 母里太兵衛居宅の門は福岡城跡に復元され、また墓所は県下嘉麻市大隈の麟翁寺にあります。
【原田種直(はるだたねなお)】(?~?)都落ちした安徳天皇と平家一門を筑紫に迎え入れますが、豊後の兵が攻め寄せて来たため平家一門は着の身着のまま北に向かいます。種直はその後を追い、遠賀川河口の山鹿まで護衛しています。 この約1年後には源範頼が九州上陸を開始し芦屋海岸に攻め寄せたため、これを阻止するため交戦しますが敗れ源氏の軍の上陸を許します(葦屋浦の戦い)。そして数日後には平家は壇ノ浦に滅び、種直は捕らえられ鎌倉に送られます。.....[全文を表示]
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