名所旧跡・中央区城南区 【母里太兵衛像】-光雲神社内-
光雲神社 母里太兵衛像
【母里但馬守太兵衛友信像】 黒田二十五騎の一人で智勇兼備の武将で、主君長政公の命を受けて、福島正則公に使いした時 禁酒の太兵衛が、なみなみと注がれた大盃の酒を、自若として飲み干し、 太閤秀吉より拝領の福島家、家宝「名槍日本号」を持ち帰った話は有名であります。 母里家二十一代嘉道氏外有志が、主君長政公の有名な水牛の兜と当神社の社頭を固める守護像として 奉納されたものであります。 母里太兵衛居宅の門は福岡城跡に復元され、また墓所は県下嘉麻市大隈の麟翁寺にあります。
【グラバー(ぐらばー)】(1838年~1911年)イギリス商人で倒幕派に武器の販売なども行いますが、維新後は自分の会社の倒産を経験します。 基本的に日本は好きだった様で、日本人女性と結婚し日本で終焉を迎えます。 このグラバー氏、太宰府天満宮を数回訪れてその度に「麒麟像」を長い間、眺めていたという話が伝わっています。
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