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名所旧跡・中央区城南区
 【母里太兵衛像-光雲神社内-



光雲神社 母里太兵衛像

 【母里但馬守太兵衛友信像】

黒田二十五騎の一人で智勇兼備の武将で、主君長政公の命を受けて、福島正則公に使いした時 禁酒の太兵衛が、なみなみと注がれた大盃の酒を、自若として飲み干し、 太閤秀吉より拝領の福島家、家宝「名槍日本号」を持ち帰った話は有名であります。
母里家二十一代嘉道氏外有志が、主君長政公の有名な水牛の兜と当神社の社頭を固める守護像として 奉納されたものであります。
母里太兵衛居宅の門は福岡城跡に復元され、また墓所は県下嘉麻市大隈の麟翁寺にあります。

光雲神社

光雲神社の掲示板より

光雲神社(てるもじんじゃ)は1909年、西公園に建てられた神社です。 神社名はここに祀られる黒田如水公と黒田長政公の法名から一字ずつ取られたものです。
余談になりますが、参拝させていただいた時、拝殿でお賽銭を入れるとどこからか鶴の鳴き声がして少々驚かされた事がありました。おそらく福岡城の別名「舞鶴城」に因んでのことと思われます。


































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スポットライト人物伝


【懐良親王(かねながしんのう)】
(1329年~1383年)


後醍醐天皇の皇子で、薩摩から九州へ上陸し南朝側の菊池武光に迎えられ肥後北部の菊池に征西府を開きます。 その後、菊池氏の武力を背景に1361年に大宰府を攻略し九州をほぼ制圧します。 この頃、創生期の明では倭寇に手を焼いた洪武帝が抗議の使者を送りますが、これに日本国王として応対したのが懐良親王です。 親王はこの使者を斬捨てる素振りをしたり、アイロニーに富んだ長文の返書をしたためたりと、一筋縄では行か.....[全文を表示]



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