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名所旧跡・福岡地区東部
 【蒙古碇石-福岡市東区箱崎宮境内-



【蒙古軍船碇石】
福岡県指定 文化財

文永十一年(西暦一、二七四年)十月二十日 蒙古軍三万は、九百隻の艦船に乗って博多に迫り、終日わが軍と激戦を交え、本宮も兵火によって、焼失したのであったが、翌二十一日朝には、意外にも湾内から姿を消してしまった。
世上これは神風によるものだという。
古来博多付近には蒙古軍船の碇石と称するものが十数本あり、肥前から壱岐にかけても五本ほどあって、いずれも海中から引揚げられたものであるが、場所がら歴史的記念物であるとして珍重されてきた。
この碇石は博多港中央波止場付近の海中から引揚られた六本中の一本であって、石質は赭色凝灰岩である。 この種の石材は蒙古軍の造船地であった朝鮮全羅南道興南方の天冠山に求めることができる。

筥崎宮境内「蒙古軍船碇石」の案内板より

碇石の後ろに見える石垣は、西南高校にある元寇防塁を一部移設展示したものです。
































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スポットライト人物伝


【秋月種実(あきづきたねざね)】
(1548年~1596年)


父親の秋月文種を大友宗麟の配下、戸次鑑連(べっきあきつら)に討たれたため毛利元就の元に身を寄せます。 そして種実は元就の協力を得てを秋月に帰還し大友氏へ対し抵抗の狼煙を挙げます。 1567年の「休松の戦い」では父の仇・戸次鑑連に奇襲をかけ大混乱に落としいれ一矢報います。 種実は大の大友嫌いだったようで、毛利元就が筑前より撤退すると次に島津氏に属し大友氏に徹底抗戦します。 しかし豊臣秀吉の大軍が大.....[全文を表示]



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