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名所旧跡・博多区
 【博多塀-博多区櫛田神社内-



島井宗室邸跡より移築された博多塀

【博多べい】
天正十五年(西暦1587年)豊臣秀吉の太閤の博多町割り(戦災復興都市計画)によって、たくましくよみがえった市街には「博多べい」と呼ぶ土べいが長く連なった。 郷土再興の悲願をそのままに 焼け石 焼け瓦が厚く塗り込められ、当時、重なる戦禍の焦土から奮起した根性と心意気を示して余りがある。このたび、博多三商傑の一人、島井宗室の屋敷跡に三百八十余年の風雪に耐えた最後の「博多べい」が四散の危機に直面するに当って、広く志を集め、ここに移築再建した。 但し右方は断面を表す。

櫛田神社「博多べい」の碑より

豊臣秀吉の博多復興事業「博多町割り」の時、廃棄する場所のなかった瓦礫を新しく建てた塀の中に塗りこめました。これが博多塀になります。この「博多町割り」は黒田官兵衛や石田三成らが中心となり計画され、博多の豪商・島井宗室や神屋宗湛が資金を提供し実施されました。
































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スポットライト人物伝


【菅原道真(すがわらみちざね)】
(845年~903年)


菅原道真は優れた才能で朝廷での位を次々に進めますが、藤原時平の画策により大宰府へ配流されます。 そして翌年には京都より伴った幼い子供が亡くなり、京都からは妻の死の知らせが入ります。 そして自身も失意の中で病を得て病没することになります。 遺骸は安楽寺へ埋葬されますが、後にその地に太宰府天満宮が創建され、その学才から学問の神様として祀られることになります。



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