名所旧跡・博多区 【博多塀】-博多区櫛田神社内-
島井宗室邸跡より移築された博多塀
【博多べい】 天正十五年(西暦1587年)豊臣秀吉の太閤の博多町割り(戦災復興都市計画)によって、たくましくよみがえった市街には「博多べい」と呼ぶ土べいが長く連なった。 郷土再興の悲願をそのままに 焼け石 焼け瓦が厚く塗り込められ、当時、重なる戦禍の焦土から奮起した根性と心意気を示して余りがある。このたび、博多三商傑の一人、島井宗室の屋敷跡に三百八十余年の風雪に耐えた最後の「博多べい」が四散の危機に直面するに当って、広く志を集め、ここに移築再建した。 但し右方は断面を表す。
【奴国王(なこくおう)】(西暦57年頃~)倭国の最南端にあった国の王で、西暦57年に「大夫(だゆう)」という役職の使者を後漢に派遣します。 これに対し当時の皇帝であった光武帝は金印を送りますが、これが江戸時代に志賀島の田地より掘り出され、 現在は福岡市博物館に所蔵されている「漢委奴国王(かんのわのなのこくおう)」印になります。
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