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名所旧跡・博多区
 【博多塀-博多区櫛田神社内-



島井宗室邸跡より移築された博多塀

【博多べい】
天正十五年(西暦1587年)豊臣秀吉の太閤の博多町割り(戦災復興都市計画)によって、たくましくよみがえった市街には「博多べい」と呼ぶ土べいが長く連なった。 郷土再興の悲願をそのままに 焼け石 焼け瓦が厚く塗り込められ、当時、重なる戦禍の焦土から奮起した根性と心意気を示して余りがある。このたび、博多三商傑の一人、島井宗室の屋敷跡に三百八十余年の風雪に耐えた最後の「博多べい」が四散の危機に直面するに当って、広く志を集め、ここに移築再建した。 但し右方は断面を表す。

櫛田神社「博多べい」の碑より

豊臣秀吉の博多復興事業「博多町割り」の時、廃棄する場所のなかった瓦礫を新しく建てた塀の中に塗りこめました。これが博多塀になります。この「博多町割り」は黒田官兵衛や石田三成らが中心となり計画され、博多の豪商・島井宗室や神屋宗湛が資金を提供し実施されました。
































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スポットライト人物伝


【菊池武光(きくちたけみつ)】
(1319年~1373年)


菊池武時の十男で、母親方の後ろ盾がなかったためか十三代頭主の兄・菊池武重の没後、弟の武士(たけし)にその座を譲ります。しかし公卿の娘の子であった武士は武力、統率力に欠けたのか頭主の座を廃されて、武光が十五代頭主となります。 その後 武光は後醍醐天皇の皇子・懐良親王を迎え着々と勢力を拡大し筑後から筑前へ侵攻します。 この時、筑前では北朝方の少弐頼尚と九州探題・一色範氏との間で内部抗争が起こっていま.....[全文を表示]



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