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意外な人物伝
 【望東尼の姫島脱出(1866年)-高杉晋作の救出作戦-

糸島半島の西に浮かぶ姫島

1865年の乙丑の獄で望東尼は、糸島半島の西約4キロの「姫島」に流されます。 山荘に匿ってもらった過去のある高杉晋作はこれを知ると望東尼の救出を画策します。 1866年9月に晋作の意を受けた福岡脱藩の志士等は望東尼を「姫島」より脱出させ、下関の豪商・白石正一郎宅に送ります。 ここで高杉晋作と望東尼は再会することになりますが、その7ヶ月後の1867年4月14日に晋作は結核のため死去します。 その時、望東尼は晋作の臨終を見届けたといわれています。そして望東尼も同年の11月6日に三田尻で没しました。享年62歳。




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スポットライト人物伝


【立花宗茂(たちばなむねしげ)】
(1567年~1643年)


高橋紹運の長男として生まれ後に嫡男のない立花道雪に請われて養子となり立花家を継ぐことになります。 島津軍の筑前侵攻では父・紹運が岩屋城で玉砕するものの、宗茂は香椎北東の立花山城に篭り豊臣秀吉の援軍が九州に上陸するまで城を守りきります。 その後、数々の武功を上げ秀吉より柳川13万石を与えられますが、関ヶ原の戦いでは秀吉への恩義から西軍についたため改易され浪人となります。 しかし20年後には許され柳川.....[全文を表示]



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