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余談
 【戒壇石の事

戒壇院の戒壇石

戒壇院の門の傍らにある石柱には、「不許葷酒肉入境内」と彫ってあります。 おそらく「境内に葷、酒、肉を入るを許さず」といった内容で当時の戒律の厳しさが偲ばれます。
「葷酒肉」の「葷」は最初「軍」の事かと勘違いして恥ずかしい思いをしたことがあります。 後にネットで検索してみると「葷」は「クン」と読み、ニンニク、ニラ等のにおいの強い野菜のことと判明しました。 ニンニク、ニラにネギ、ラッキョウ、アサツキ(ショウガ、タデ)を加えて「五葷(ゴクン)」と呼び、仏教界ではごく普通の言葉らしいです。また「葷酒」は「クンシュ」と読み1つの単語になっているようで、こちらも仏教界ではごくあたりまえの言葉だそうです。
またこの石柱は「戒壇石」といわれるもので、一般的には「不許葷酒入山門」と刻まれているとのことです。




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スポットライト人物伝


【平貞能(たいらさだよし)】
(?~?)


鎮西反乱が起こると1181年、筑紫に派遣されその翌年には乱を平定し一旦帰還しますが、都は木曽義仲の軍が迫り大混乱の中にありました。貞能は「都に留まるべき」と主張しますが、平家一門は西へ落ちて行き、仕方なく貞能もその後を追って大宰府に入ります(平家物語では東国に向かい宇都宮朝綱の元に身を寄せたとされています)。しかし、今度は豊後の緒方惟義が九州退去を勧告し兵3万で大宰府に迫ります。一門は着の身着のま.....[全文を表示]



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