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余談
 【戒壇石の事

戒壇院の戒壇石

戒壇院の門の傍らにある石柱には、「不許葷酒肉入境内」と彫ってあります。 おそらく「境内に葷、酒、肉を入るを許さず」といった内容で当時の戒律の厳しさが偲ばれます。
「葷酒肉」の「葷」は最初「軍」の事かと勘違いして恥ずかしい思いをしたことがあります。 後にネットで検索してみると「葷」は「クン」と読み、ニンニク、ニラ等のにおいの強い野菜のことと判明しました。 ニンニク、ニラにネギ、ラッキョウ、アサツキ(ショウガ、タデ)を加えて「五葷(ゴクン)」と呼び、仏教界ではごく普通の言葉らしいです。また「葷酒」は「クンシュ」と読み1つの単語になっているようで、こちらも仏教界ではごくあたりまえの言葉だそうです。
またこの石柱は「戒壇石」といわれるもので、一般的には「不許葷酒入山門」と刻まれているとのことです。




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スポットライト人物伝


【真木和泉(まきいずみ)】
(1813年~1864年)


久留米藩の尊皇攘夷の志士で攘夷派の公卿に強い影響力を持ちますが、 「八月十八日の政変」で長州藩が京都を追われると長州派の七卿に下関まで同行します(「七卿落ち」)。 そして翌年には長州軍の一部隊として「禁門の変」に参戦しますが、 戦況が不利になると天王山に登り同士16名と共に自刃し志半ばで一生を終えることになります。



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