余談 【「黒田節」像の余談】博多駅の「黒田節」像余談になりますが、以前、酒の席で「九州の男はよく酒を飲むなあ」と東京や大阪の先輩方から度々お褒めいただいた事がありますが、どうもこのイメージを植えつけた一因が「黒田節」のようで、「福岡は黒田節だもんな~、よく呑むはずだよな~」てなことになっているようで・・・。 しかし、母里太兵衛は兵庫辺りの出身で九州人ではありません。要は「九州の男」ではなく「日本の男はよく酒を飲むよな~」といったところでしょうか・・・。そういえば東京や大阪の先輩方も結構いける口だったのが思い出されます。
博多駅の「黒田節」像
余談になりますが、以前、酒の席で「九州の男はよく酒を飲むなあ」と東京や大阪の先輩方から度々お褒めいただいた事がありますが、どうもこのイメージを植えつけた一因が「黒田節」のようで、「福岡は黒田節だもんな~、よく呑むはずだよな~」てなことになっているようで・・・。 しかし、母里太兵衛は兵庫辺りの出身で九州人ではありません。要は「九州の男」ではなく「日本の男はよく酒を飲むよな~」といったところでしょうか・・・。そういえば東京や大阪の先輩方も結構いける口だったのが思い出されます。
【少弐頼尚(しょうによりなお)】(1294年~1372年)少弐貞経の嫡男。九州に落ちた足利尊氏を下関で出迎え京の戦で敗れた尊氏を励ましたといわれます。 そして父・少弐貞経を討った菊池武敏を尊氏と共に「多々良浜の戦い」で破り、肥後に追います。 しかし二十数年後日本三大合戦に挙げられる「筑後川の戦い」で菊池武光に破れ2年後に大宰府を奪われることになります。
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