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福岡史伝・幕末・維新
 【五卿の大宰府入り(1865年)

赤間宿 五卿西遷之遺跡

会津と薩摩の軍が1864年「禁門の変」で長州軍を破ると、幕府は長州征討の勅命を受け兵15万を広島に集結させます。 これに長州藩は恭順の意を表し、三家老を切腹させ五卿を他藩に送るという条件に従いますが、この五卿を引き受けたのが福岡藩です。 藩では五卿を迎えるため幽閉中の勤皇家・月形洗蔵の罪を赦し、早川養敬と共に五卿を迎えるため下関まで向かわせます。 二人に大宰府入りを説得された五卿は承諾し筑前に向かいますが、福岡藩の真意を測りかねたためか、 途中の赤間宿(筑前)に一月ほど滞在します。この間、薩摩、長州、土佐、筑前勤皇党の志士たちが慌しく面談していますが、 これは五卿の安全の保障や警護について協議していたものと思われます。そして1865年2月13日に五卿は無事大宰府の延寿王院に入ります。


(2011.6.4)


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スポットライト人物伝


【栗山利安(くりやまとしやす)】
(1551年~1631年)


黒田官兵衛が若い時より付き従った人物で黒田家家臣団の中心武将です。 有岡城に官兵衛が幽閉されると出入りの商人に紛れ潜入し囚われの主君に面会を果たし、 有岡城落城の際は一番に土牢に駆けつけ官兵衛を救い出します。 また関ヶ原の戦いが起こると人質にされそうになった官兵衛、長政の両夫人を母里太兵衛と共に大坂の黒田邸より救い出し中津城まで送り届けています。



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