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福岡史伝・江戸
 【貝原益軒「筑前国続風土記」(1703年)

福岡市博物館の「筑前続風土記」

1630年貝原益軒は福岡藩の藩医の子として生まれ、京都、長崎、江戸で見聞を広めます。 益軒は自分の目で見て考え納得したことを文章にする実証主義の人だったようで、 「筑前国続風土記」を著すにあたって筑前各地へ自ら足を運び、史跡を確認し、地元民の言い伝えを聞き集めています。
益軒はこの他に「大和本草」「養生訓」「黒田記略」「女大学」「益軒十訓」などの著作に励みますが、 この中の「女大学」は夫人の東軒によって書かれたもではないかといわれています。
また「養生訓」「筑前国続風土記」「大和本草」などの著作が学校法人中村学園のホームページで参照することができます。


(2011.7.23)

「筑前国続風土記」について詳しく知りたい方はこちらへどうぞ!
中村学園電子図書館「筑前国続風土記」のページへリンク


















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スポットライト人物伝


【菊池武敏(きくちたけとし)】
(?~1341年)


菊池武時の九男。京都より落ちてきた足利尊氏が九州に上陸した情報を掴むと、阿蘇惟直と共に肥後より攻め上ります。 そして少弐氏の有智山城を攻め落とし父・武時の仇、少弐貞経を自害させます。 しかし貞経の嫡子・少弐頼尚や尊氏の軍と多々良浜で戦い敗れると南に撤退します。



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