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福岡史伝・江戸
 【黒田騒動(1632年)

初代藩主黒田長政は「後継者には三男の長興(ながおき)を・・・」と考えますが、 家臣の栗山大善(だいぜん)等の反対に押され長男の忠之(ただゆき)を後継者とします。 しかし、この長男が福岡藩を継ぐことに不安を払拭できない長政は長興を秋月藩の初代藩主とし分藩させる事にしました。 そして1623年に長政は京都にて病没しますが、それから9年後の1632年、この長政の不安は現実となり黒田家のお家騒動「黒田騒動」が起こります。 二代藩主・黒田忠之と忠之を藩主に押した栗山大善とが不仲となり抜き差しならぬ事態に発展します。 身の危険を感じた大善は藩主・黒田忠之を「謀反の意思あり」と幕府に訴えます。 これにより黒田藩は取り潰しの憂き目にあいますが、 関ヶ原以来の幕府と黒田家の関係を配慮した幕閣により、栗山大善は南部藩預かり、 忠之の側近・倉八十太夫は高野山への追放で事は収められ、黒田藩の取り潰しは回避されました。
しかしこの幕府と黒田藩との密接な関係は後の明治維新の混乱期には逆に藩の足かせとなっていく事になります。


(2013.3.24)


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スポットライト人物伝


【黒田如水(くろだじょすい)】
(1546年~1604年)


荒木村重が信長へ謀反を起こし有岡城(伊丹)に籠もると、黒田官兵衛(如水)は村重の行動を思いとどめさせるため有岡城に入りますが、 そこで1年もの間 拘束されてしまいます。救い出された官兵衛はこの間の土牢生活で、足を患い頭部には瘡の痕が残ったと言われています。 その後復帰し、秀吉へ様々な戦略戦術を献策し天下獲りに大きく貢献します。しかし九州を手中にし、 ほぼ天下平定が現実すると秀吉は中津12万石を官兵.....[全文を表示]



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