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福岡史伝・南北朝・室町
 【応仁の乱-筑前-(1467~1478年)

少弐氏と九州探題に命じられた渋川氏との反目に乗じて筑前に勢力を伸ばしていた大内氏は、1467年に「応仁の乱」が起こると兵を京都に向けます。 対馬に逃れていた少弐政資(この時点では頼忠)は対馬代官の宗氏の支援を受け筑前に上陸し、手薄となった大内勢を筑前より追うことに成功します。 しかし、十年後の1477年に「応仁の乱」が収束すると大内政弘は京都より周防に戻り筑前攻略を開始、翌年の9月に大宰府で少弐政資を破り、 政資を肥前に追います。



その後も政資は筑前の奪還を図りますが、大内氏の勢いが強く果たせず、1497年に大内政弘の子、義興との「筑紫の戦い」で大敗を喫し、 肥前小城に落ちそこで自害する事になります。以後、少弐氏は肥前で大内氏の攻撃に防戦一方となり、 配下の龍造寺氏にも離反されます。そして1559年、政資の孫・冬尚が龍造寺隆信に討たれ少弐氏は滅びますが、 これに取って代った龍造寺氏は肥前の戦国大名として急成長して行く事になります。

(2014.11.24)


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スポットライト人物伝


【宮崎安貞(みやざきやすさだ)】
(1623年~1697年)


広島の出身で一時、福岡藩へ仕えますが5年ほどで自ら浪人し、周船寺村で農業の研究に没頭します。 そして晩年には名著「農業全書」を貝原益軒の協力で出版します。この書は施政者や農業関係者より絶賛され、 その後の農業に大きな影響を与えたといわれています。



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