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福岡史伝・南北朝・室町
 【今川了俊の失脚(1395年)

南北朝が統一(1392年)された三年後、第三代将軍の足利義満は、九州で勢力を伸ばす探題・今川了俊に危険性を覚え帰京の命を出します。 目の上の瘤だった了俊の失脚劇に少弐、大友、島津ら九州の守護たちは大喜びし、 特に「水島の変」で頭首を騙まし討ちにされた少弐氏は、敵(かたき)の了俊が無事に京に帰れるように気を配ったいいます。 京に戻った了俊は九州探題を罷免され遠江国に戻ることになります。 「狡兎(こうと)死して走狗(そうく)烹らる」といったところなのでしょうか・・・
この失脚の裏には海外貿易の利権を欲する周防国守護・大内義弘の讒言があったと言われ、その後に筑前には大内氏が勢力を伸ばし、 博多の貿易権を手中に収めます。


(2014.11.2)


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スポットライト人物伝


【按察使局伊勢(あぜちのつぼねいせ)】
(?~?)


「壇ノ浦の戦い」で平家が敗れると安徳天皇を抱いて入水したといわれる女性で、鎌倉軍の兵士に引き上げられます。 時期は不明ですが伊勢はその後、九州筑後へ移り、筑後川の辺(ほとり)に社を建て安徳天皇、高倉平中宮(平徳子、清盛の娘)、二位の尼(時子、清盛の妻)を祀ります。 そしてこの社で加持祈祷を行い村人より敬われたといわれます。この社が久留米水天宮の起源になり、 現在、境内にある「千代松神社」はこの按察.....[全文を表示]



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