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福岡史伝・南北朝・室町
 【今川了俊の失脚(1395年)

南北朝が統一(1392年)された三年後、第三代将軍の足利義満は、九州で勢力を伸ばす探題・今川了俊に危険性を覚え帰京の命を出します。 目の上の瘤だった了俊の失脚劇に少弐、大友、島津ら九州の守護たちは大喜びし、 特に「水島の変」で頭首を騙まし討ちにされた少弐氏は、敵(かたき)の了俊が無事に京に帰れるように気を配ったいいます。 京に戻った了俊は九州探題を罷免され遠江国に戻ることになります。 「狡兎(こうと)死して走狗(そうく)烹らる」といったところなのでしょうか・・・
この失脚の裏には海外貿易の利権を欲する周防国守護・大内義弘の讒言があったと言われ、その後に筑前には大内氏が勢力を伸ばし、 博多の貿易権を手中に収めます。


(2014.11.2)


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スポットライト人物伝


【立花道雪(たちばなどうせつ)】
(1513年~1585年)


大友氏の猛将で、反旗を翻した立花鑑載(たちばなあきとし)を降して立花山城に入場するまでは戸次鑑連(べっきあきつら)の名で知られています。 毛利氏と連携した筑前の秋月、高橋、筑紫氏らが抵抗の兵を挙げると大友軍の中心武将として戦い、 また肥前の龍造寺氏、中国の毛利氏の侵攻を防ぐ活躍をします。 若い時に雷に打たれ足が不自由だったため戦場では輿に乗って指揮をとったといわれています。



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