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福岡史伝・南北朝・室町
 【今川氏の九州攻略(1372年)

1370年、九州に入ることも叶わなかった渋川義行に代わり九州探題に命じられた今川了俊は、 九州攻略を三方面より進める策を取り、豊後に嫡男の今川貞臣を上陸させ高崎山城に籠城させます。 また弟の今川仲秋を肥前へ上陸させ大宰府へ向かわせ、そして自らは豊前門司より大内氏などの中国勢と共に上陸します。 この間、宮方の菊池武光の嫡男・菊池武政は高崎山城の攻略から、肥前方面の今川勢の押さえへと慌しく動きますが、 今川の勢いを止めることはできませんでした。 了俊はその半年後(1372年6月)に懐良親王、菊池武光を筑後に追い、大宰府を12年ぶりに武家派の勢力下に置きます。


(2014.11.1)


















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スポットライト人物伝


【按察使局伊勢(あぜちのつぼねいせ)】
(?~?)


「壇ノ浦の戦い」で平家が敗れると安徳天皇を抱いて入水したといわれる女性で、鎌倉軍の兵士に引き上げられます。 時期は不明ですが伊勢はその後、九州筑後へ移り、筑後川の辺(ほとり)に社を建て安徳天皇、高倉平中宮(平徳子、清盛の娘)、二位の尼(時子、清盛の妻)を祀ります。 そしてこの社で加持祈祷を行い村人より敬われたといわれます。この社が久留米水天宮の起源になり、 現在、境内にある「千代松神社」はこの按察.....[全文を表示]



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