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福岡史伝・南北朝・室町
 【針磨原の戦い(1353年)

1353年1月22日、直冬が去り戦う名分を失くした少弐頼尚は大宰府の浦ノ城で九州探題・一色範氏の猛攻に晒されますが、 そこに宿敵・菊池武光の南朝軍が援軍に現われたため窮地を脱します。この時に少弐頼尚は武光に感謝し 「今より子孫七代まで、菊池の人々に向かって弓を引き、矢を放っことがあってはならない」と起請文を書いたといわれます。 そして2月2日には、大宰府より3㎞ほど南の針磨原で少弐氏の加わった南朝軍が一色の軍を撃破し(針磨原の戦い)、 翌年には再び南朝軍が「姪浜、飯盛の戦い」で一色軍を破り、再起不能となった範氏は長門に逃れます。
その後、九州探題が不在となると少弐頼尚は北朝方に寄り、南北朝の対立が再び表面化してくる事になります。


(2014.11.24)


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スポットライト人物伝


【黒田長政(くろだながまさ)】
(1568年~1623年)


豊臣秀吉の参謀・黒田官兵衛(如水)の長男として生まれます。十歳の頃に父・官兵衛の謀反が疑われ織田信長に殺されかけますが、 秀吉の部下・竹中半兵衛に匿われ命を取り留めます。それから二十数年後に秀吉が死去し「関ヶ原の戦い」が起こると、 徳川家康の東軍に属します。この戦いは小早川秀秋の寝返りで東軍が勝利を大きく引き寄せたといいますが、 この「寝返り」を事前に根回ししたのが長政だといわれています。戦後、長.....[全文を表示]



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