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福岡史伝・平安
 【「刀伊」(女真族)の入寇(1019年)

1019年女真族「刀伊」の海賊3,000が50艘の船で対馬、壱岐を襲い、博多湾に姿を現します。 そして糸島東部から早良郡、能古島を荒らし、次に箱崎を攻撃します。
大宰権帥(だざいごんのそつ-大宰府長官-)の藤原隆家は警固所に集まった兵を率い、箱崎に上陸した刀伊の軍を撃退したため、 博多の町への被害はなかったようですが、この半月ほどの間の被害は死者463名、 連れ去られた者1,280人(内、270人ほどは高麗軍に保護され、日本に送り返されます)といわれています。

この女真族とは満州地方の民族で、この頃は中国の大国「宋」を圧迫する「遼」の属国でした。 しかし「遼」の搾取に不満を持った女真族は1115年に「金」を起こし、1120年「宋」と同盟、その5年後には「遼」を滅ぼします。 次に1127年、約束を反故にした「宋」を攻撃、その北半分を手中にし「宋」を上回る巨大国にのし上ります。
しかし1211年北方に興った騎馬民族のモンゴル軍に攻め込まれ、1234年には首都を占領され滅亡します。
その後中国は「元」から「明」と移りますが、満州に残った女真族は1616年「後金」を建て「明」へ侵攻します。 「後金」は国号を「清」と改め、1644年「明」を倒した西涼の反乱軍を破って中国を制覇しました。
この「清」はそれから300年近く続きますが、西洋諸国や日本の割譲要求や内乱によって1912年に倒れ中国最後の王朝となります。 この頃の「清」の実質的な統治者がかの有名な西太后で皇帝がラストエンペラーと呼ばれる溥儀でした。


(2011.6.19)


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スポットライト人物伝


【菊池武光(きくちたけみつ)】
(1319年~1373年)


菊池武時の十男で、母親方の後ろ盾がなかったためか十三代頭主の兄・菊池武重の没後、弟の武士(たけし)にその座を譲ります。しかし公卿の娘の子であった武士は武力、統率力に欠けたのか頭主の座を廃されて、武光が十五代頭主となります。 その後 武光は後醍醐天皇の皇子・懐良親王を迎え着々と勢力を拡大し筑後から筑前へ侵攻します。 この時、筑前では北朝方の少弐頼尚と九州探題・一色範氏との間で内部抗争が起こっていま.....[全文を表示]



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