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福岡史伝・平安
 【菅原道真大宰府流配(901年)

太宰府市朱雀の「榎社」

大宰府に流配された菅原道真公は、二人の子供と味酒安行など数人の門弟と共に大宰府政庁の南に600m程は離れた謫居(たっきょ)に入ります。 子供はまだ幼い隈麿と紅姫でした。謫居での生活は想像が及ばないほどの過酷なもので、 道真公は幼い二人を連れてきたことを後悔したものと想像されます。 流配の翌年には隈麿が亡くなり、京都からは妻の死の知らせが入ります。そして道真公自身も病を得、903年に病没します。 紅姫の消息は不明なようですが「紅姫の供養塔」と言われる板碑が残っているそうです。
西鉄大牟田線を通勤通学に使用している方は「都府楼駅」と「二日市駅」のほぼ中間地点の東側に鳥居のあるこんもりとした森を見ることができると思いますが、 その森が短い間三人が暮らした謫居跡「榎社(えのきしゃ)」になります。


(2011.6.12)


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スポットライト人物伝


【黒田長政(くろだながまさ)】
(1568年~1623年)


豊臣秀吉の参謀・黒田官兵衛(如水)の長男として生まれます。十歳の頃に父・官兵衛の謀反が疑われ織田信長に殺されかけますが、 秀吉の部下・竹中半兵衛に匿われ命を取り留めます。それから二十数年後に秀吉が死去し「関ヶ原の戦い」が起こると、 徳川家康の東軍に属します。この戦いは小早川秀秋の寝返りで東軍が勝利を大きく引き寄せたといいますが、 この「寝返り」を事前に根回ししたのが長政だといわれています。戦後、長.....[全文を表示]



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