福岡史伝・奈良 若き頃に法律を学び官僚としても優秀だった道君首名(みちのきみおびとな)は53歳の頃に筑後守として赴任します。
年齢からして第一線を退き、引退までの繋ぎの赴任だったのかもしれませんが、
首名は筑後で果物や野菜の栽培、畜産を促進し、また同時に灌漑対策も進め農政に力を入れます。
そして農民にも分かり易い箇条書きの規則を発布し、それに従わない者には罰則を科しました。
その強引な手法に人々の中には首名を陰で罵る者も多かったのですが、徐々にその政策の成果が見え始めると陰口を言うものは居なくなったといいます。
首名は自らの政策が必ずや筑後の民の生活を安定したものにすると確信していたのでしょう。
そして718年、政策の効果を実感した首名は57歳で亡くなります。筑後に赴任して4年程の事でした。
(2015.1.17)
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