一夜漬け福岡史
【江戸時代】-「黒田騒動」と名著の刊行-
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金龍寺の「貝原益軒像」 |
二代藩主の黒田忠之(ただゆき)は自分を藩主の座に就けた栗山大善と不仲となり修復不可能となると、
遂に栗山大善より幕府へ「謀反の意思あり」と訴えられます。
幕閣は関ヶ原以来の徳川家と黒田家の関係を配慮し、栗山大善を南部藩預かり、
忠之の寵臣を高野山への追放し事を収め、黒田藩の改易は回避されました。
因みにこの事件は「加賀騒動」、「伊達騒動」と共に江戸時代の三大お家騒動と呼ばれています。
江戸時代の中盤には文化の隆盛を迎え、貝原益軒(かいばらえきけん)の「養生訓」「筑前国続風土記」「大和本草」、
宮崎安貞(みやざきやすさだ)の「農業全書」などの名著が福岡より世に出ます。
そして1784年には志賀島より「金印」が発見され、福岡藩校の甘棠館(かんとうかん)館長・亀井南冥(かめいなんめい)により
「後漢書(ごかんじょ)」に記載される後漢の皇帝が奴国王に送った「漢委奴国王(かんのわのなのこくおう)」印と鑑定されます。
これが現在、福岡市博物館に所蔵される金印になります。
(2012.11.27)