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一夜漬け福岡史
 【飛鳥時代-白村江の戦いから大宰府の誕生-

宇美町の「百間石垣」(大野城)

645年「乙巳の変(いっしのへん)」で蘇我氏を倒し政権を奪取した中大兄皇子は 663年、新羅・唐の挟撃にあい滅亡した百済の復興支援するため朝鮮に軍を派遣します。 しかし「白村江の戦(はくそんこうのたたかい)」で新羅・唐の連合軍に大敗を喫したため、 九州の防衛に力を入れる事になります。先ずは博多湾近くにあった九州の行政機関・官家を「観世音寺」の隣に移設し「大宰府」とし、 敵の侵攻を食い止めるため前面に濠のある大堤「水城」を築きます。 そして大宰府北側の大野山に石垣を張り巡らした「大野城」を築城し籠城戦にも備えます。 この頃よりこの地域は九州の政庁「大宰府」と大規模寺院の「観世音寺」の築造が進み、大都市への道を歩み始めるのです。


(2012.11.25)


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スポットライト人物伝


【高場乱(たかばおさむ)】
(1831年~1891年)


男子として育てられた男装の女医で、かつ教育者。金印の鑑定をした亀井南冥の学派の塾に学び、後に興志塾を起します。 「福岡の変」には塾生から多く者が参加しています。そして1889年に教え子の来島恒喜(くるしまつねき)が大隈重信暗殺未遂事件をおこし自決すると、 来島の死を嘆きながらも「匹夫の勇」と厳しい言葉を投げかけています。



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