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 【茶器「楢柴」の事(戦国時代)-博多の豪商・嶋井宗室が所有した茶器-

豊臣秀吉に対抗し島津氏に属して戦った秋月種実は、秀吉軍の九州上陸で勢いづいた立花宗茂の兵に追われ秋月に籠もります。そして秀吉自身が九州に乗り込んで来ると、種実は息女と天下の茶器「楢柴(ならしば)」を秀吉に差し出し降伏します。秀吉はこれを受け入れ種実は日向に転封される事となり、取り潰しを免れました。
秋月氏の窮地を救ったこの茶器「楢柴」は元々、博多の豪商・嶋井宗室が所有したもので、豊臣秀吉や大友宗麟から所望されるも譲らなかったといわれる一品です。秋月種実も「楢柴」をどうしても手中に収めたく使者を幾度となく送りますが、宗室はどうしても手放そうとしなかったために、遂に武力で奪おうとします。これに宗室はとうとう諦め、「楢柴」を譲り渡すことにします。種実の使者は宗室邸に来訪し、大豆百俵と引き換えに「楢柴」を持ち帰りますが、宗室は使者が去った後に、この引渡しに使用した部屋を打ち壊したといわれています。混乱期の商人たちは物を右から左へ動かすだけで巨額な利を得ていたといったイメージが強いのですが、実際は戦国の豪商たちも乱世を生き抜くのが容易でなかったことを伝える逸話だと思われます。

その後「楢柴」は豊臣家から徳川家へと渡りますが、1657年の明暦の江戸大火で行方知れずとなったと言うことです。

-参考「古代の都市・博多」(朝日新聞福岡総局編/葦書房)-




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スポットライト人物伝


【中大兄皇子(なかのおうえのおうじ)】
(626年~672年)


645年の「乙巳の変(いっしのへん)」で蘇我入鹿を暗殺し、政権を掌握します。 その後、新羅・唐の連合軍に百済が滅ぼされると百済復興の軍を起こしますが、日本軍は「白村江の戦い」で 破れたため以後は九州の防衛に力を入れ大宰府の移転、水城、大野城を築きます。 この中大兄皇子は意外なことに水時計の研究開発も行った様で大宰府政庁にも水時計が設置されていたということです。



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