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名所旧跡・中央区城南区
 【平野国臣像-西公園内-



平野國臣銅像

【平野二郎國臣の銅像】
    (1828年~1864年)
  (幕末期に討幕・国家統一を主唱)

現在の今川一丁目生まれ。26歳の時、江戸湾奥まで侵入した重装備の黒船8隻を目の当たりにして、 当時の日本にこれを阻止する力は無いと直感し、さらに、長崎(後の海軍伝習所)において世界情勢を学びました。 以来、国のあり方について異を唱え「国家統一」を訴えました。 「雄藩が大挙して江戸に集合、諸侯が揃って迫れば、戦わずして幕府を解体させ得る。」 という壮大な目標を揚げましたが、頼みとする薩長両藩が相争う「禁門の変」において、 あまりにも早すぎた「国家統一」論は断たれました。享年37。


      我胸の燃ゆる思いに くらふれは 烟はうすし櫻島山

中央区役所 企画課

中央区歴史と文化の説明板より

この福岡市中央区西公園にある「平野二郎國臣の銅像」は2代目になります。 初代は「大正4年に建立、昭和18年に戦時供出された旧像」として「中央区歴史と文化の説明板」の中に当時の写真が載せられています。





















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スポットライト人物伝


【大友宗麟(おおともそうりん)】
(1530年~1587年)


豊後の守護大名で、最盛期には豊前、筑前、筑後から肥後の北部までを手中に収めます。 政治的な駆引きや武将としての能力は高かったようですが、 性格的に強引な面があったのか、配下の武将が各地で反乱を起しています。 そして1578年の「耳川の戦い」で北上してきた島津軍に大敗し多くの有力武将を失い防戦一方となります。 その後、豊臣秀吉の援軍を得たため島津軍は撤退したものその翌年には病没しています。



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