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余談
 【浅野四郎左衛門の事

先日、「お綱門の事」の記事を書いていて思った事です。
事件後にお綱の夫・浅野四郎左衛門には陰に陽に批判が殺到し著しく藩内での立場を悪くしたのではないかと想像され、名前も知らぬ様な他の藩士から冷たい視線で睨まれたり、身に覚えのない噂を流されたりと、藩主から気に入られた若手藩士だっただけに逆に、風当たりが強くなったのではないでしょうか、この事件からしばらくして四郎左衛門自身も熱病で他界したと伝わっています。
なぜ四郎左衛門は藩主の奥方から疎まれた芸妓を城内の邸宅に住まわせてしまったのか・・・、本気で芸妓へ入れ込んでしまったのか・・・、それとも主君へ対する気配りだったのか・・・、はかない疑問が残ります。お綱のやるせない心情は計り知れないもので、子供達の事を思うと四郎左衛門の罪は洗い流せるものではないのでしょうが、主君へ対する四郎左衛門の気遣いを想像すると、この人にも同情の余地が残る様な気がしてなりません・・・。

































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スポットライト人物伝


【藤原隆家(ふじわらたかいえ)】
(979年~1044年)


平安時代の名門出身の隆家は大宰府へ大宰権帥(だざいごんのそつ、大宰府長官)として赴任中、博多湾に来寇した「刀伊の海賊」と戦い撃退します。 しかし残念な事に10代の頃に花山法皇の袖を矢で射抜いてしまうといった事件を起こしています。 この人の性格と爽快な生き方から後世の人からもっと注目されてよい人物なのですが、 もうひとつ注目されないのはその事件がネックになっているのかもしれません。



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