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余談
 【浅野四郎左衛門の事

先日、「お綱門の事」の記事を書いていて思った事です。
事件後にお綱の夫・浅野四郎左衛門には陰に陽に批判が殺到し著しく藩内での立場を悪くしたのではないかと想像され、名前も知らぬ様な他の藩士から冷たい視線で睨まれたり、身に覚えのない噂を流されたりと、藩主から気に入られた若手藩士だっただけに逆に、風当たりが強くなったのではないでしょうか、この事件からしばらくして四郎左衛門自身も熱病で他界したと伝わっています。
なぜ四郎左衛門は藩主の奥方から疎まれた芸妓を城内の邸宅に住まわせてしまったのか・・・、本気で芸妓へ入れ込んでしまったのか・・・、それとも主君へ対する気配りだったのか・・・、はかない疑問が残ります。お綱のやるせない心情は計り知れないもので、子供達の事を思うと四郎左衛門の罪は洗い流せるものではないのでしょうが、主君へ対する四郎左衛門の気遣いを想像すると、この人にも同情の余地が残る様な気がしてなりません・・・。




















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スポットライト人物伝


【秋月種実(あきづきたねざね)】
(1548年~1596年)


父親の秋月文種を大友宗麟の配下、戸次鑑連(べっきあきつら)に討たれたため毛利元就の元に身を寄せます。 そして種実は元就の協力を得てを秋月に帰還し大友氏へ対し抵抗の狼煙を挙げます。 1567年の「休松の戦い」では父の仇・戸次鑑連に奇襲をかけ大混乱に落としいれ一矢報います。 種実は大の大友嫌いだったようで、毛利元就が筑前より撤退すると次に島津氏に属し大友氏に徹底抗戦します。 しかし豊臣秀吉の大軍が大.....[全文を表示]



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