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わかっていない事
 【煬帝の返書の行方は?-小野妹子、返書の提出できず!-

中国の南北朝の時代の混乱が終わりを告げ、隋が中国をほぼ統一すると大和朝廷は遣隋使を派遣します。 遣隋使の船は出発時も帰還の際も那の大津(博多より2㎞ほど西方)を寄港地としていたようです。 607年、第二回遣隋使の小野妹子は「日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す。つつがなしや」といった書状を隋に届けますが、この内容を知った隋の皇帝・煬帝(ようだい)は取り次いだ者に「この様な書状は二度と持って来ないように」と不機嫌になったといいます。 そして煬帝は返書を小野妹子に託しますが、帰国した妹子は返書を提出せず「返書は百済を通った際に百済人によって奪われました」と報告します。 これは隋の返書が好意的なものではなかったため妹子が自ら破棄したのではないかと考えられているのですが、この返書にはいったい何が書かれていたのか今となっては歴史の謎となっています。




















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スポットライト人物伝


【高杉晋作(たかすぎしんさく)】
(1839年~1867年)


長州藩士で吉田松陰の松下村塾に学び、幕府に抵抗するため奇兵隊を創設した人物です。幕府の第一回長州征討後は、 長州藩保守派から逃れるため太宰府五条の酒蔵「中村酒屋」や野村望東尼の「平尾山荘」に匿われています。 のちに筑前勤皇党弾圧の「乙丑の獄」で島流しにされた野村望東尼を救い出し下関に迎えています。



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