わかっていない事 527年、継体天皇の意を受けた近江毛野(おうみのけな)は新羅と戦うため兵6万を率い任那に向かいますが、途中の九州で国造の磐井が乱を起こしこれを阻みます。
日本書紀の継体記によると行く手を塞いだ磐井は近江毛野に「お前は今は使者として来ているが、俺たちは昔、肩や肘をすれ合わしながら同じ釜の飯を喰った仲だ。急に王の使者と言われても『はいそうですか』と簡単には従えない」といった内容を大声で言い放ったといいます。
不思議なのはここで近江毛野は「使者」となっている事です。兵6万を率いた者を普通は使者とは呼びません。このことより近江毛野は6万の兵を率いたのではなく、兵6万を集めていたのではと疑問が湧いてきます。実際のところ近江毛野は6万の兵を率いたにも関わらず、出兵命令を拒否した磐井と一戦交えたという記述が日本書紀には見当たらないのです。 関連記事:毛野,磐井,麁鹿火
|
|