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意外な人物伝
 【新選組局長・近藤勇を狙った男(1867年)-筑後の柔術家・篠原泰之進-

1867年11月18日、新選組は隊より離脱した御陵衛士(ごりょうえじ)の頭取・伊東甲子太郎とその同志三名を京都油小路で騙まし討ちにしますが、この報復として御陵衛士の生き残りは12月18日、京都・墨染で公務帰りの新選組局長・近藤勇を待ち伏せ狙撃し、左肩に重傷を負わせます。 子母沢寛は「新選組始末記」で、篠原泰之進の手記に「銃を撃ったのは自分である」と書かれている事を記事にしています。
篠原は筑後浮羽の出身で一時久留米藩士に仕えますが、その後、攘夷運動に走り関東を中心に活動したといわれます。 柔術を得意とし、横浜の奉行所に雇われていた時分に狼藉を働いた三人のイギリス人を縛り上げ海岸に捨て置いたという武勇伝を残しています。 そして新選組、在籍時には「諸士取調役兼監察」及び「柔術師範頭」という特別な役職に就いており、またその行動から伊東甲子太郎の右腕的な存在だった事が窺われます。

その後、流山(千葉)で官軍に捕らえられた近藤勇は江戸板橋で斬られ、篠原ら御陵衛士のメンバーは薩摩軍に属し戊辰戦争を戦って行くことになります。



「新選組始末記」には篠原の手記以外に「近藤勇狙撃事件で銃を撃ったのは自分と富山弥兵衛であり、篠原泰之進は槍で近藤を突く役目であった」といった阿部十郎の遺談も掲載されており、薩摩出身の富山弥兵衛が薩摩藩邸より持ち出した鉄砲を用いて元新選組・砲術師範頭であった阿部十郎が狙撃した・・・というこの流れの方が自然なのかもしれません。ただその場に篠原泰之進がいたことだけは間違いないようです。































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スポットライト人物伝


【少弐頼尚(しょうによりなお)】
(1294年~1372年)


少弐貞経の嫡男。九州に落ちた足利尊氏を下関で出迎え京の戦で敗れた尊氏を励ましたといわれます。 そして父・少弐貞経を討った菊池武敏を尊氏と共に「多々良浜の戦い」で破り、肥後に追います。 しかし二十数年後日本三大合戦に挙げられる「筑後川の戦い」で菊池武光に破れ2年後に大宰府を奪われることになります。



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