意外な人物伝 1863年「8月18日の政変」で会津薩摩の両藩に長州藩が京都を追われると、攘夷派の三条実美ら七卿も長州に落ち延びました。これが世に言う「七卿落ち」です。その後、七卿の一人、澤宣嘉は1863年10月「生野の変」に平野国臣と共に身を投じ、もう一人、錦小路頼徳は1864年6月長州にて病没します。残った五卿は、「禁門の変」、「第一次長州征伐」を経て、福岡黒田藩が預かることなり、長州より太宰府の延寿王院に移りました。この時、筑前勤皇党の月形洗蔵は五卿を下関まで出迎えに行っています。
「七卿落ち」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』。2011年5月1日(日)10:45 http://ja.wikipedia.org/wiki/ %E4%B8%83%E5%8D%BF %E8%90%BD%E3%81%A1 関連記事:七卿落,実美,季知,隆謌,通禧,基修
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