Mousegallery






Fアイテム
 【太宰府天満宮の「麒麟像」(1852年)-トーマス・グラバーと麒麟像-

太宰府天満宮の「麒麟像」

太宰府天満宮の境内には、「麒麟像」があります。私も子供の頃からその像を知っていましたが、単なる写実性の高い動物像だと思っていました。 学生の頃にこれが中国の空想上の動物「麒麟」だと知りましたが、その写実性?の高さから、西洋美術を学んだ芸術家に依る最近の作品だろうという思いは変わりませんでした。
最近になってこの「麒麟像」が1852年に寄贈されたものと知り「ヘーッ!」驚いたことがありました。
1852年といえば幕末、黒船が来航する1年前のこと、当然、日本は鎖国中。中国で製造されたものが入ってきたのか、蘭学を勉強した芸術家によって鋳造されたのか、ネットで調べたのですが、残念ながら結論は出ませんでした。

ところで、この「麒麟像」には、おもしろい逸話があるようです。 長崎のイギリス人商人のトーマス・グラバー氏は五卿の側付きの志士たちに会うためか(明治に入ってからか?)、太宰府天満宮を数回訪れています。その度にこの「麒麟像」を鑑賞していたそうです。本当の話かは不明ですが、グラバー氏はこの「麒麟像」をどうしても欲しくなり、宮司さんに譲ってもらえないかとお願いしたという話があります。 この「麒麟像」現在も天満宮に現存することを考えると、宮司さんが「これは売り物ではありませんし、施主さんに失礼になりますので・・・」と丁重にお断りした情景が想い浮びます。
しかし「麒麟像」の事が心の片隅から離れないグラバー氏は、その後、アメリカ人のビール会社を引継ぎ社名を「ジャパン・ブルワリー・カンパニー」として、新ブランド「キリンビール」を発売しました。この会社が発展して現在のキリンビールになったということです。
もしかしたら、ラガービールのラベルの絵柄は、天満宮の「麒麟像」がモデルなのかもしれないと思うと、福岡人としてはチョットうれしい気分になってきます。




関連記事:麒麟,キリン

















福岡史伝へのアクセスにはこのQRコードをご利用ください
https://www.2810w.com


スポットライト人物伝


【栗隈王(くるくまおう)】
(?~676年)


「白村江の戦い」から四年後、668年7月に栗隈王は防備が整いつつあった筑紫に赴任し筑紫率(つくしのかみ)の地位につきます。 その後、翌1月には蘇我赤兄(そがあかえ)が筑紫宰(つくしのかみ)に任命されますが、赤兄は赴任した形跡が見当たらず、 実務は栗隈王が執っていたと思われ、671年には再び栗隈王が筑紫率に任命されます。この辺りの人事については、後の「壬申の乱」 に繋がる派閥闘争が既に始まっていたこ.....[全文を表示]



このページは ClubTwinHut が運営しています



© 2011 福岡史伝