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意外な人物伝
 【益軒は損軒だった!(1700年)-益軒先生の号について-

「貝原益軒屋敷跡」の碑
中央区荒戸

益軒先生は若き頃に藩主・黒田忠之より怒りを買い、浪人生活を送ります。 数年後に許され帰藩しそれから44年間、黒田藩に仕え「黒田家譜」を著し、また藩内の教育や施政に携わりますが、その間の号はなんと「損軒」だったというのです。 何故にして「損軒」なのか、その理由は残念ながら伝わっていないようです。
そして引退した先生は「益軒」と改め、「筑前国続風土記」を脱稿し四代藩主・黒田綱政に献上、本格的な執筆活動に入り「大和本草」、「和俗童子訓(わぞくどうじくん)」、「養生訓」 をはじめとする数多くの著作物を残すことになります。

































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スポットライト人物伝


【菊池武光(きくちたけみつ)】
(1319年~1373年)


菊池武時の十男で、母親方の後ろ盾がなかったためか十三代頭主の兄・菊池武重の没後、弟の武士(たけし)にその座を譲ります。しかし公卿の娘の子であった武士は武力、統率力に欠けたのか頭主の座を廃されて、武光が十五代頭主となります。 その後 武光は後醍醐天皇の皇子・懐良親王を迎え着々と勢力を拡大し筑後から筑前へ侵攻します。 この時、筑前では北朝方の少弐頼尚と九州探題・一色範氏との間で内部抗争が起こっていま.....[全文を表示]



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