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 【「博多べい」ってどんな塀?(1587年)-戦乱で出た瓦礫の処分方法は?-

櫛田神社「博多塀」

九州を平定した豊臣秀吉は戦災で荒廃した博多を復興するため「博多町割り」を行います。 しかし新しい町並みを造るにあたって頭を悩ましたのが、戦災後の街中に残る大量の瓦礫でした。そこで博多の人々はこの瓦礫を新しく建てる塀に埋め込みました。これを「博多べい」と呼びます。 現在、櫛田神社には嶋井宗室の屋敷跡の「博多べい」が移築され保存されています。屋外に展示されていますので観光客の方も気軽に見ることができ、当時の博多復興の様子を偲ぶことができます。上の写真は名所旧跡のページの「博多べい」碑文にある「但し右方は断面を表す。」の断面部で、粘土と埋め込まれた瓦が断層になっているのが分かります。




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スポットライト人物伝


【竹崎季長(たけざきすえなが)】
(1246年~?)


肥後の竹崎季長は文永・弘安の役に参陣し奮戦します。 戦後は「蒙古襲来絵詞」を残しますが、現在ではこの絵巻が戦役の重要な資料となっています。



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