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 【「博多べい」ってどんな塀?(1587年)-戦乱で出た瓦礫の処分方法は?-

櫛田神社「博多塀」

九州を平定した豊臣秀吉は戦災で荒廃した博多を復興するため「博多町割り」を行います。 しかし新しい町並みを造るにあたって頭を悩ましたのが、戦災後の街中に残る大量の瓦礫でした。そこで博多の人々はこの瓦礫を新しく建てる塀に埋め込みました。これを「博多べい」と呼びます。 現在、櫛田神社には嶋井宗室の屋敷跡の「博多べい」が移築され保存されています。屋外に展示されていますので観光客の方も気軽に見ることができ、当時の博多復興の様子を偲ぶことができます。上の写真は名所旧跡のページの「博多べい」碑文にある「但し右方は断面を表す。」の断面部で、粘土と埋め込まれた瓦が断層になっているのが分かります。




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スポットライト人物伝


【真木和泉(まきいずみ)】
(1813年~1864年)


久留米藩の尊皇攘夷の志士で攘夷派の公卿に強い影響力を持ちますが、 「八月十八日の政変」で長州藩が京都を追われると長州派の七卿に下関まで同行します(「七卿落ち」)。 そして翌年には長州軍の一部隊として「禁門の変」に参戦しますが、 戦況が不利になると天王山に登り同士16名と共に自刃し志半ばで一生を終えることになります。



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