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福岡悲話
 【針目城落城の原因(1581年)-自らの行いで破滅した城番-

大友宗麟が「耳川の戦い」で島津軍に大敗すると筑前東南部では秋月種実が宗麟に対し叛旗を翻します。 種実は大友勢の抑止のため筑前と豊後との境界地帯の穂坂(原鶴温泉の東方)に針目城を築き、初山九兵衛という人物を城番とします。 ところがこの武将、女癖が悪かった様で、我が部下の高久保彦次郎という者の容姿端麗な妻に手を出してしまいます。 数ヵ月後、この事を聞き知った九兵衛の奥方は嫉妬心から怒りが収まらず、七夕の行事で部下の妻たちを集めると、ひとり一人に言葉を掛け定例の酌をします。しかし彦次郎の妻だけには言葉も掛けず酌もしませんでした。この仕打ちで彦次郎の妻は九兵衛との事が公になったことを知り、急ぎ自宅に帰ると、夫あての遺書を認(したた)めそのまま自害してしまいます。 この事件で面目を失った高久保彦次郎の憤慨は甚だしく、大友方に通じ城の守勢が手薄な時を見計らって、敵兵を城内に引き入れたため針目城は大混乱に陥り遂には落城します。 そしてこの機に乗じて彦次郎は初山九兵衛とその奥方を斬り捨てたと「筑前國続風土記」に記されています。



貝原益軒は「筑前國続風土記・針目古城」の項の最後で「この城番の姓名に関しては『九州軍記』に他説があるが、村の古老の伝える初山九兵衛が実説である。」と締め括っています。


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スポットライト人物伝


【小早川秀秋(こばやかわひであき)】
(1582年~1602年)


豊臣秀吉の正妻ねねの甥にあたり、義父・小早川隆景の隠居に伴い入れ替わりで筑前の名島城に入ります。 「関ヶ原の戦い」では西軍から東軍へ寝返り、勝敗に大きく影響を与えたといわています。 戦後は加増され岡山に移りますが、「裏切り」の汚名を拭いきれず家臣とともに苦悩の日々を送ったと想像されます。 そして二年後には若くして死去します。 この秀秋の「関ヶ原」での行動には過去の出来事と戦いに至るまでの流れより同.....[全文を表示]



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