Mousegallery






意外な話
 【「大刀洗」地名の由来(1358年)-「関ヶ原」に並ぶ大合戦「筑後川の戦い」-

当時の様子がうかがえる1990年代の大刀洗川

1358年「関ヶ原の戦い」「川中島の戦い」と並び称せられる「筑後川の戦い」が起こります。 少弐、大友を中心とする北朝軍と懐良親王、菊池を中心とする南朝軍が筑後川の北側で激突します。 戦いは南朝軍有利で終わりますが、死傷者は北朝軍18,000人、南朝軍6,900人といわれ、戦いの壮絶さは「関ヶ原の戦い」「川中島の戦い」も到底及ばないものでした。戦いの終わった菊池武光の軍が、近くの小川で血のついた刀を洗うと川は真っ赤に染まったといわれています。 これが三井郡大刀洗町の地名由来になります。 この地には江戸時代に「日本外史」で勤皇の志士たちに多大な影響を与えた頼山陽も訪れ、詩を詠んでいます。




関連記事:大刀洗,武光

















福岡史伝へのアクセスにはこのQRコードをご利用ください
https://www.2810w.com


スポットライト人物伝


【黒田長溥(くろだながひろ)】
(1811年~1887年)


島津藩主の重豪(しげひで)の十三男で、黒田家に養子として入ります。 開明的な藩主で蘭学を取り入れ中洲には反射炉を建設するなどしています。 しかし1865年の「乙丑の獄」で筑前勤王党の弾圧を行い勤皇派を一掃します。 弾圧の原因はハッキリしていないのですが、 勤王党の過激な一派が長溥の重臣を暗殺した二つの事件が一因であるのは間違いないようです。 結果的にこの弾圧が明治以降、福岡藩に大きな影を落としてい.....[全文を表示]



このページは ClubTwinHut が運営しています



© 2011 福岡史伝