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意外な話
 【「大刀洗」地名の由来(1358年)-「関ヶ原」に並ぶ大合戦「筑後川の戦い」-

当時の様子がうかがえる1990年代の大刀洗川

1358年「関ヶ原の戦い」「川中島の戦い」と並び称せられる「筑後川の戦い」が起こります。 少弐、大友を中心とする北朝軍と懐良親王、菊池を中心とする南朝軍が筑後川の北側で激突します。 戦いは南朝軍有利で終わりますが、死傷者は北朝軍18,000人、南朝軍6,900人といわれ、戦いの壮絶さは「関ヶ原の戦い」「川中島の戦い」も到底及ばないものでした。戦いの終わった菊池武光の軍が、近くの小川で血のついた刀を洗うと川は真っ赤に染まったといわれています。 これが三井郡大刀洗町の地名由来になります。 この地には江戸時代に「日本外史」で勤皇の志士たちに多大な影響を与えた頼山陽も訪れ、詩を詠んでいます。




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スポットライト人物伝


【少弐経資(しょうにつねすけ)】
(1225年~1292年)


少弐氏の嫡男で元寇では弟の景資と共に奮戦します。「弘安の役」では博多湾から壱岐へ移動した元軍を追撃し壱岐から駆逐しますが、 この戦いで父・資能と長男・資時を亡くしています。 戦後、鎌倉で「霜月騒動」が起こると安達盛宗を討ち、弟の景資の岩門城を攻め自害させます。



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