意外な人物伝 後醍醐天皇軍との戦いで形勢不利となった足利尊氏は一旦京都から落ち九州へ向かいます。
1336年2月下旬に九州に入りますが、それも束の間3月2日には、肥後から攻め上ってきた天皇方の菊池・阿蘇軍と博多東方の多々良浜で戦うことになります。
尊氏は九州に上陸して日も浅かったため兵を集めることもできず、少弐、宗像、大友の軍を併せても1万に満たなかったと想像されます(距離の関係より豊後大友の援軍は間に合ったと思われますが)。
これに対し天皇方の兵力は3万とも6万ともいわれています。
緒戦は菊池・阿蘇軍が有利でしたが、天皇方には戦闘に参加しない勢力が多数あり、また風向きが変わり砂埃を菊池・阿蘇軍に巻上げたため、形勢が逆転します。
そして宮方には寝返る勢力も出たため勝敗は決し、菊池・阿蘇軍は南へ退却します。勝利した尊氏は大宰府の原山一坊に入り京都奪還の準備を始めます。 関連記事:尊氏,高氏
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