余談 【孫子の兵法の事】「孫子」は中国の春秋時代末(今から2500年ほど前)に孫武によって書かれたと言われる兵法書ですが、日本でも古くから軍事を学ぶテキストとして多くの人が通読していたようです。 当然、黒田官兵衛や竹中半兵衛も若き頃にこの兵法書を繰り返し読んだものと想像されます。ちょっとこじつけの感もありますが、その中から彼等の言葉や行動に影響を与えたと思われる孫子の言葉を取り上げてみようと思います。
「孫子」は中国の春秋時代末(今から2500年ほど前)に孫武によって書かれたと言われる兵法書ですが、日本でも古くから軍事を学ぶテキストとして多くの人が通読していたようです。 当然、黒田官兵衛や竹中半兵衛も若き頃にこの兵法書を繰り返し読んだものと想像されます。ちょっとこじつけの感もありますが、その中から彼等の言葉や行動に影響を与えたと思われる孫子の言葉を取り上げてみようと思います。
【栗隈王(くるくまおう)】(?~676年)「白村江の戦い」から四年後、668年7月に栗隈王は防備が整いつつあった筑紫に赴任し筑紫率(つくしのかみ)の地位につきます。 その後、翌1月には蘇我赤兄(そがあかえ)が筑紫宰(つくしのかみ)に任命されますが、赤兄は赴任した形跡が見当たらず、 実務は栗隈王が執っていたと思われ、671年には再び栗隈王が筑紫率に任命されます。この辺りの人事については、後の「壬申の乱」 に繋がる派閥闘争が既に始まっていたこ.....[全文を表示]
▲