観世音寺建立 (661年)

斉明天皇は百済復興支援のため入った九州で突然崩御します。中大兄皇子はこの母のために大野山の麓に大規模寺院を創建することを決めますが、これが85年の歳月をかけて完成する「観世音寺」です。 斉明天皇は重祚(二度以上、天皇の地位に在位すること)した初めての天皇で二代前に皇極天皇として [...]


白村江の戦い (663年)

倭国が朝鮮半島から撤退して約百年後の、660年百済は新羅・唐の連合軍の攻撃を受け滅亡します。百済の遺臣の鬼室福信は百済復興のため倭国に救援依頼すると共に、倭国に滞在する百済の王子豊璋の帰国を求めます。 これに応えた中大兄皇子は661年百済復興救援のため豊璋を帰国させると共に兵を送 [...]


防人と烽の設置 (663年)

663年、新羅・唐の連合軍の九州上陸を想定し、対馬、壱岐、筑紫に防人(さきもり)と烽(すすみ)を設置します。防人とは筑紫の守備のために全国より派遣された兵士で、烽とは敵の動向を知らせる狼煙台のことになります。 百済を制した新羅と唐は朝鮮半島の平定を優先し、高句麗の攻撃に向かいます [...]


大宰府、水城、大野城を築く (663年~665年)

「白村江の戦い」に敗れると、中大兄皇子は新羅・唐の連合軍の九州侵攻に備え、664年九州の行政機関「官家」(那津)の機能を造営中の「観世音寺」の西側に移し「大宰府」とします。そして敵の侵攻を食い止めるため前面(博多湾側)に濠を掘った大堤「水城」を築き、翌665年には大野山に百済 [...]


壬申の乱-筑紫- (672年)

天智天皇が崩御すると、その半年後の672年6月に、吉野で出家していた天皇の弟・大海人皇子(おおあまのおうじ)が東国に向かい、挙兵の動きを示します。 時の都の大津では不穏な空気が流れ人々は避難の準備を始めます。大津に在した大友皇子(おおとものおうじ・天智天皇の皇子)はこれに対し、地 [...]