「濡れ衣」の語源は博多にあり (奈良時代)

-悲しい話です- 「藤原広嗣の乱」の前後の事だと思われますが、都より佐野近世(さのちかよ)という人が奥方と娘を伴い筑前の守として赴任して来ます。それからしばらくして奥方は亡くなり近世は地元の女性と再婚します。ところがこの女性、先妻の娘との関係が上手くいかなかったのか、娘を亡き者 [...]


筑後みやまの平家伝説 (平安時代)

-平家の史跡- 壇ノ浦の戦いで生き残った平家の一団は船または徒歩で博多を経て、そこから大宰府に向かったものと思われます。ただ頼りの原田種直は「葦屋浦の戦い」で源範頼に敗れもう平家の人々を守る力も気力もなかったのかもしれません。 そこから一行は源氏の追手を逃れるために行くあてもな [...]


糸島の平家伝説 (平安時代)

-平重盛の妻子と都見石- 糸島市の二丈満吉には「都見石(みやこみいし)」という史跡があります。この石は、唐原(とうばる・糸島市満吉の南部)の山中の畑の所々に露出する1~2m程の岩石群の事になります。唐原には、この石に関する伝説が残ります。 時は源平合戦で平家が大宰府に追われた [...]


針目城落城の原因 (1581年)

-自らの行いで破滅した城番- 大友宗麟が「耳川の戦い」で島津軍に大敗すると筑前東南部では秋月種実が宗麟に対し叛旗を翻します。 種実は大友勢の抑止のため筑前と豊後との境界地帯の穂坂(原鶴温泉の東方)に針目城を築き、初山九兵衛という人物を城番とします。 ところがこの武将、女癖が悪か [...]


おしどり伝説 (戦国時代)

-三原貞吉の話- 貝原益軒は「筑前國続風土記」に次のような話を載せています。 戦国の頃、筑後三原郡に三原貞吉(みはらさだよし)という武将がいました。大友氏の配下で、ある日に所用で主家の豊後へ出かけます。その途中、志波村(現在の原鶴温泉から北西の地帯)の香山淵を通りかかると、鴛 [...]


お綱門の事 (江戸時代)

-福岡城内での悲劇- 福岡城には戦前まで「お綱門」という門が残っていたそうです。第二代藩主・忠之の頃、城に乱入しようとした女人が門番に斬られ、この門まで辿りつき絶命したといわれるいわく付きの門になります。その女人の名が「お綱」でこの事件の頃からこの門は「お綱門」と呼ばれるように [...]


飴買い幽霊の話 (1679年)

-安国寺に伝わる伝説- 福岡の歓楽街・親不孝通りの真ん中辺りを博多湾に向かって右手に入ると、安国寺というお寺があります。このお寺には「飴買い幽霊」の伝説が残り、その墓も置かれています。伝説の内容は次の通りです。 深夜、飴屋に若い女性が店の戸を叩き、飴を買いに現れます。この様な [...]