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福岡史伝…福岡の歴史をできる限り簡単にご紹介!

名所旧跡…メジャー観光地と観光バスは行かない隠れた旧跡

福岡人物伝…歴史は人が造る!福岡の歴史に登場した人々

意外な話…それってホント?意外すぎる話。

よくわかっていない事…歴史って考えれば考えるほど面白い!!

一夜漬け福岡史…時間がない忙しい人用のページ

福岡歴史年表…福岡2000年の歴史概要

名所旧跡フォトライブラリ…乱雑ですが写真集です

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はじめに…お願いと参考書

 
新着情報

2021.1.25

【記想録】肥後国衆一揆

2021.1.10

【記想録】島津義久降伏す

2021.1.5

親魏倭王印はどこにある?を追加

2021.1.4

金印の「委」は「倭」の略字?を追加

2021.1.2

「漢委奴国王」の読み方は?に加筆

2020.12.31

【記想録】村重、孝高を禁獄す

2020.12.30

【記想録】摂津播磨離反す

2020.12.27

【記想録】備中高松城の水攻め

2020.12.22

【記想録】孝高の説得術

2020.12.20

【記想録】原田氏の先祖の事

名言・格言「黒板にちゅ~も~く!」
兵とは詭道(きどう)なり
-戦いとは騙し合いで何が起こるかわからない、十分に注意が必要である-    
孫子





福岡史伝・鎌倉
 【岩門合戦-霜月騒動-】(1285年)

那珂川町の「岩門城跡」(城山)
「弘安の役」から3年後の1284年、北条時宗が病死すると鎌倉で御家人の安達泰盛と得宗家執事の平頼綱の確執が激しくなります。 翌1285年11月、両者間で小競り合いが起きそれが戦いまでに発展します。 そして安達泰盛が敗れると一族および安達派の御家人は次々と攻められ討ち死に自害して行きます。 これが「霜月騒動」ですが、この事件は地方にまで拡大し常陸、信濃、播磨などで安達派の人々が粛清されます。 筑前では安達泰盛の子、安達盛宗が博多で少弐経資に討たれ、 経資の弟の少弐景資も安達派だったため岩門城(いわとじょう)に籠りますが経資はこちらにも兵を送り城を攻め落とし、 景資を自害させます(「岩門合戦」)。 そして鎌倉幕府はこれら粛清された御家人たちの所領の一部を元寇の恩賞として配分したといわれます。


ところで「霜月騒動」で自害した安達泰盛という人は文化人の間でも名の知れた人だったようで、吉田兼好は「乗馬の達人」として取り上げ、 一遍上人は「大きな人」と評しているようです。 また「蒙古襲来絵詞」で有名な肥後の竹崎季長はこの絵巻の中に少弐景資、安達盛宗、安達泰盛を描かせており、 恩賞を直訴した安達泰盛からは海東郷の地頭に任じられたことも記載しています。 そしてこの絵巻の最後に「永仁元年(1293年)二月九日」と書き入れています。 この1293年という年は「霜月騒動」の仕掛人、平頼綱が滅ぶ「平禅門の乱」の起こった年でもありました。

(2011.7.16)








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スポットライト人物伝


【立花道雪(たちばなどうせつ)】
(1513年~1585年)


大友氏の猛将で、反旗を翻した立花鑑載(たちばなあきとし)を降して立花山城に入場するまでは戸次鑑連(べっきあきつら)の名で知られています。 毛利氏と連携した筑前の秋月、高橋、筑紫氏らが抵抗の兵を挙げると大友軍の中心武将として戦い、 また肥前の龍造寺氏、中国の毛利氏の侵攻を防ぐ活躍をします。 若い時に雷に打たれ足が不自由だったため戦場では輿に乗って指揮をとったといわれています。


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