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 意外な話/ 意外な人物伝/ 福岡悲話/ Fアイテム/ 




■意外な話■



徐福伝説は福岡にもあった?】(BC210年頃) -天山の童男丱女岩-
徐福は秦の始皇帝より「延年益寿」の薬を探すように命を受け、若い男女3000人と五穀の種、工匠たちを引 [...]


漢委奴国王印の鈕は駱駝?】(57年) -金印の取っ手は蛇ではなかった-
金印「漢委奴国王」の鈕(ちゅう・印のつまみの部分)は駱駝(らくだ)を蛇に改造したものではないかという [...]


福岡にも長城があった!】(664年) -グーグルアースでも見れる「水城」跡-
664年、白村江の戦いで敗れた中大兄皇子は、唐、新羅の連合軍の反撃となる九州進攻に備え、博多の那の津 [...]


起きたら家が動いてた!?】(687年) -筑紫の大地震-
天武天皇の時代の687年12月ある夜半、筑紫で大地震が起こります。地面には6m程の幅で1km近くに渡 [...]


もう一つの都】(古墳~奈良) -豊津とその周辺の史跡-
大宰府を思い浮かべるに違いないのですが、福岡にはもう一つの古都が存在します。 それが京都郡みやこ町 [...]


太宰府天満宮の由来】(903年) -天満宮の牛の像はなぜ座り込んでるの?-
大宰府へ左遷された2年後の903年、道真公は失意の中、病のため死去します。 門弟の味酒安行(うまさ [...]


博多の人魚伝説】(1222年) -消えてなくなった人魚塚-
博多冷泉町にある竜宮寺には人魚の物と言われる骨が安置され、「人魚伝説」が伝えられています。 鎌倉時 [...]


文永の役に神風は吹いたか?】(1274年) -元軍が消えた理由は?-
1274年10月19日に博多湾に押し寄せた元軍は10月20日に百道、博多、箱崎と各地で暴れまわります [...]


「大刀洗」地名の由来】(1358年) -「関ヶ原」に並ぶ大合戦「筑後川の戦い」-
1358年「関ヶ原の戦い」「川中島の戦い」と並び称せられる「筑後川の戦い」が起こります。 少弐、大 [...]


なぬ!!「ういろう」の元祖は?】(室町時代) -妙楽寺「ういろう」の碑-
「ういろう」の本場と言えば名古屋、小田原、京都、山口、九州では宮崎などいろんな説があるようですが、な [...]


万葉歌の意外な解釈】(1703年) -御笠の森に関する逸話-
思はぬをおもふといはば大野なる美笠の森の神ししるらん この歌は奈良時代に大宰大監(筑紫の警察長 [...]


筑後川の鵜飼の事】(明暦以前) -昔は瓢箪で鵜飼?-
江戸時代の初期頃までの筑後川の鵜飼漁は船は使わず泳いで漁を行っていたようです。 「江戸時代の初 [...]


筑前のUMA】(1809年) -放火し味噌を食い荒らす奇獣「だつ」-
ています。 この本は博多中洲の庄林半助という箱曲物細工師(弁当箱や柄杓などの職人)の親方によって書 [...]


巌流島は豊前領だった!】(江戸時代) -現在の島の住人は?-
対決した巌流島は山口県の観光名所として有名ですが、江戸時代は豊前小倉藩の領地だったということです。こ [...]




■意外な人物伝■



「白村江の戦い」の帰還兵・博麻】(690年) -自らを売った兵士-
大伴部博麻(おおともべのはかま)は現在の八女市上陽町の出身で663年の「白村江の戦い」に出征し、唐軍 [...]


上杉鷹山の祖は筑前人?】(941年) -大蔵春実、「藤原純友の乱」を鎮圧す-
「なせば成る なさねば成らぬ何事も 成らぬは人の なさぬなりけり」 (「やればできる。やらないと事 [...]


「刀伊の海賊」を撃退した男】(1019年) -暴れん坊中納言・藤原隆家-
「東(あづま)男に京女」なんて言葉がありますが粗野粗暴のイメージは東男だけの特権ではないようで、意外 [...]


落武者尊氏、筑前で復活!】(1336年) -多々良浜の戦いは多勢に無勢?-
後醍醐天皇軍との戦いで形勢不利となった足利尊氏は一旦京都から落ち九州へ向かいます。 1336年2月 [...]


日本国王・良懐とは誰?】(1370年) -明の抗議に応対した親王-
時は南北朝の時代、後醍醐天皇の皇子・懐良親王(かねながしんのう)は菊池武光の支援を得て1361年に大 [...]


筑前にも超能力者がいた?】(文明年間) -筑前に存在した幻術師・火亂-
「三国志演義」には于吉(うきつ)、華佗(かだ)、左慈(さじ)などの特殊な能力を持った人物が登場します [...]


野上一閑と三奈木弥平次】(1581年) -原鶴の一騎打ち-
大友氏が島津氏に大敗を喫した耳川の戦いから3年、筑後平野では秋月氏や龍造寺氏が弱体化する大友配下の諸 [...]


明史・秀吉伝】(1592年) -中国から見た豊臣秀吉像-
中国の清の時代に書かれた「明史」には豊臣秀吉の事が描写されていますが、概要は次の通りです。 日 [...]


益軒は損軒だった!】(1700年) -益軒先生の号について-
益軒先生は若き頃に藩主・黒田忠之より怒りを買い、浪人生活を送ります。 数年後に許され帰藩しそれから [...]


自由の気風の「亀井塾」】(1762年) -昭陽先生と生徒たち-
「漢委奴国王」の金印を鑑定した父・亀井南冥(なんめい)の後を継ぎ、私塾「亀井塾」を起した昭陽先生はあ [...]


七卿落ちではなく五卿落ち?】(1863年) -五卿のその後-
1863年「8月18日の政変」で会津薩摩の両藩に長州藩が京都を追われると、攘夷派の三条実美ら七卿も長 [...]


望東尼の姫島脱出】(1866年) -高杉晋作の救出作戦-
1865年の乙丑の獄で望東尼は、糸島半島の西約4キロの「姫島」に流されます。 山荘に匿ってもらった [...]


新選組局長・近藤勇を狙った男】(1867年) -筑後の柔術家・篠原泰之進-
1867年11月18日、新選組は隊より離脱した御陵衛士(ごりょうえじ)の頭取・伊東甲子太郎とその同志 [...]


人参畑先生の事】(1877年) -男装の女医・高場乱-
最近、テレビでは美形の女医さんが話題を振りまいているようですが、40年程前の九州では女性の医師はほぼ [...]


勝海舟の黒田長溥・評】(1930年頃) -蘭学の先駆だった福岡藩-
勝海舟は福岡藩第11代藩主・黒田長溥について氷川清話(講談社学術文庫)で次の通り語っています。 [...]


月形半平太って誰?】(1919年) -薩長同盟のもう一人の立役者、月形洗蔵-
「月様雨が」 「春雨じゃ濡れて参ろう」 月形半平太は大正時代にヒットした舞台劇「月形半平太」 [...]




■福岡悲話■



「濡れ衣」の語源は博多にあり】(奈良時代) -悲しい話です-
「藤原広嗣の乱」の前後の事だと思われますが、都より佐野近世(さのちかよ)という人が奥方と娘を伴い筑前 [...]


筑後みやまの平家伝説】(平安時代) -平家の史跡-
壇ノ浦の戦いで生き残った平家の一団は船または徒歩で博多を経て、そこから大宰府に向かったものと思われま [...]


針目城落城の原因】(1581年) -自らの行いで破滅した城番-
大友宗麟が「耳川の戦い」で島津軍に大敗すると筑前東南部では秋月種実が宗麟に対し叛旗を翻します。 種 [...]


おしどり伝説】(戦国時代) -三原貞吉の話-
貝原益軒は「筑前國続風土記」に次のような話を載せています。 戦国の頃、筑後三原郡に三原貞吉(み [...]


お綱門の事】(江戸時代) -福岡城内での悲劇-
福岡城には戦前まで「お綱門」という門が残っていたそうです。第二代藩主・忠之の頃、城に乱入しようとした [...]


飴買い幽霊の話】(1679年) -安国寺に伝わる伝説-
福岡の歓楽街・親富考通り(以前は親不孝通り)の真ん中辺りを博多湾に向かって右手に入ると、安国寺という [...]




■Fアイテム■



「帆柱石」伝説とは?】(古墳時代) -大木が石化した珪化木-
ばれる。円柱形の化石があり国の天然記念物に指定されています。この石のネーミングは「神功皇后が三韓出兵 [...]


夜に光を放つ石「魚眼精」】(飛鳥時代) -願いを叶える如意宝珠-
中国の正史「隋書」の倭国の項には次のように書かれています。 「阿蘇山有り。故なく火起こりその石 [...]


筑紫に置かれた「漏刻」とは?】(飛鳥時代) -中大兄皇子の水時計研究-
漏刻とは水時計の事ですが、中大兄皇子がこの漏刻の研究をしていた事はあまり知られていません。 大宰府 [...]


博多が初の「透頂香」とは!?】(1369年) -「ういろう」とはブランド名?-
「陳員外郎という者が1369年、元代末の乱をさけ博多に移住し、その後上京して将軍義満に種々の薬を献上 [...]


「博多べい」ってどんな塀?】(1587年) -戦乱で出た瓦礫の処分方法は?-
九州を平定した豊臣秀吉は戦災で荒廃した博多を復興するため「博多町割り」を行います。 しかし新しい町 [...]


「日本号」ってなに?】(1596年) -戦国史を背負う名槍-
「日本号」とは、大杯になみなみと注がれた酒を飲み干した母里太兵衛に福島正則が贈った名槍の名前です。 [...]


茶器「楢柴」の事】(戦国時代) -博多の豪商・嶋井宗室が所有した茶器-
豊臣秀吉に対抗し島津氏に属して戦った秋月種実は、秀吉軍の九州上陸で勢いづいた立花宗茂の兵に追われ秋月 [...]


小倉碑文とは?】(江戸時代) -宮本武蔵の碑-
小倉碑文は小倉藩家老の宮本伊織が養父・武蔵の事蹟を残すために小倉・手向山(たむけやま)に建立した石碑 [...]


太宰府天満宮の「麒麟像」】(1852年) -トーマス・グラバーと麒麟像-
太宰府天満宮の境内には、「麒麟像」があります。私も子供の頃からその像を知っていましたが、単なる写実性 [...]


「平野國臣紙撚文書」とは?】(1862年) -筆がなけば紙で書く-
士、清川八郎、当代随一の開明家、佐久間象山を暗殺した過激攘夷の志士、川上彦斎などとも交わりをもち、当 [...]


「漢委奴国王」印は本物?】(1784年) -なぬ~金印には贋物説があった?-
江戸時代に志賀島から発見された「漢委奴国王」印には、意外にも当時より贋物説があったという事です。17 [...]


中山鹿之介の陣鐘?】(明治時代) -国宝・西光寺の梵鐘-
明治30年(1897年)頃の事、早良内野の西光寺の檀家衆はお伊勢参りに出かけます。その帰途、大阪に泊 [...]








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スポットライト人物伝


【立花宗茂(たちばなむねしげ)】
(1567年~1643年)


高橋紹運の長男として生まれ後に嫡男のない立花道雪に請われて養子となり立花家を継ぐことになります。 島津軍の筑前侵攻では父・紹運が岩屋城で玉砕するものの、宗茂は香椎北東の立花山城に篭り豊臣秀吉の援軍が九州に上陸するまで城を守りきります。 その後、数々の武功を上げ秀吉より柳川13万石を与えられますが、関ヶ原の戦いでは秀吉への恩義から西軍についたため改易され浪人となります。 しかし20年後には許され柳川.....[全文を表示]



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