Mousegallery





■福岡人物伝■


 弥生・古墳 飛鳥 奈良 平安 鎌倉 
 南北朝・室町 戦国 江戸 幕末・維新 





[ 弥生・古墳 ]



奴国王】(西暦57年頃)

大夫】(西暦57年頃)

卑弥呼】(西暦200年代中頃)

景行天皇】(西暦300年前後?)

武内宿禰】(?~?)

仲哀天皇】(?~362年)

神功皇后】(?~389年頃)

大伴金村】(?~?)

物部麁鹿火】(?~536年)

磐井】(?~528年)

近江毛野】(?~530年)




[ 飛鳥 ]



斉明天皇】(594年~661年)

中大兄皇子】(626年~672年)

栗隈王】(?~676年)

佐伯連男】(?~?)




[ 奈良 ]



道君首名】(662年~718年)

鑑真和尚】(688年~763年)

玄昉】(?~746年)

吉備真備】(695年~775年)

藤原広嗣】(?~740年)

佐伯常人】(?~?)




[ 平安 ]



小野岑守】(778年~830年)

菅原道真】(845年~903年)

味酒安行】(?~?)

小野好古】(884年~968年)

大蔵春実】(?~?)

藤原純友】(893年~941年)

藤原隆家】(979年~1044年)

平頼盛】(1133年~1186年)

源為朝】(1139年~1170年)

平貞能】(?~?)

原田種直】(?~?)

按察使局伊勢】(?~?)

山鹿秀遠】(?~1185年?)

安徳天皇】(1180年~1185年)




[ 鎌倉 ]



少弐経資】(1225年~1292年)

安達盛宗】(?~1285年)

少弐景資】(1246年~1285年)

竹崎季長】(1246年~?)

河野通有】(1250年~1311年)

草野経永】(?~?)

北条英時】(?~1333年)

少弐貞経】(1272年~1336年)

大友貞宗】(?~1334年)

島津貞久】(1269年~1363年)

菊池武時】(1292年~1333年)




[ 南北朝・室町 ]



少弐頼尚】(1294年~1372年)

足利尊氏】(1305年~1358年)

阿蘇惟直】(?~1336年)

菊池武敏】(?~1341年)

一色範氏】(?~1369年)

菊池武光】(1319年~1373年)

今川了俊】(1326年~1420年)

懐良親王】(1329年~1383年)




[ 戦国 ]



毛利元就】(1497年~1571年)

立花道雪】(1513年~1585年)

高橋鑑種】(1529年~1579年)

大友宗麟】(1530年~1587年)

小早川隆景】(1533年~1597年)

豊臣秀吉】(1537年~1598年)

黒田如水】(1546年~1604年)

高橋紹運】(1548年~1586年)

秋月種実】(1548年~1596年)

栗山利安】(1551年~1631年)

筑紫広門】(1556~1623)

母里太兵衛】(1556年~1615年)

後藤又兵衛】(1560年~1615年)

立花宗茂】(1567年~1643年)

黒田長政】(1568年~1623年)

小早川秀秋】(1582年~1602年)




[ 江戸 ]



栗山大善】(1591年~1652年)

黒田忠之】(1602年~1654年)

黒田長興】(1610年~1665年)

宮崎安貞】(1623年~1697年)

貝原益軒】(1630年~1714年)

貝原東軒】(1651年~1713年)

亀井南冥】(1743年~1814年)

高山彦九郎】(1747年~1793年)

シーボルト】(1796年~1886年)




[ 幕末・維新 ]



野村望東尼】(1806年~1867年)

黒田長溥】(1811年~1887年)

月照】(1813年~1858年)

真木和泉】(1813年~1864年)

平野國臣】(1828年~1864年)

月形洗蔵】(1828年~1865年)

篠原泰之進】(1828年~1911年)

加藤司書】(1830年~1865年)

高場乱】(1831年~1891年)

早川勇】(1832年~1899年)

古屋佐久左衛門】(1833年~1869年)

宮崎車之助】(1835年~1876年)

坂本龍馬】(1836年~1867年)

三条実美】(1837年~1891年)

中岡慎太郎】(1838年~1867年)

グラバー】(1838年~1911年)

高杉晋作】(1839年~1867年)









福岡史伝へのアクセスにはこのQRコードをご利用ください
https://www.2810w.com


スポットライト人物伝


【真木和泉(まきいずみ)】
(1813年~1864年)


久留米藩の尊皇攘夷の志士で攘夷派の公卿に強い影響力を持ちますが、 「八月十八日の政変」で長州藩が京都を追われると長州派の七卿に下関まで同行します(「七卿落ち」)。 そして翌年には長州軍の一部隊として「禁門の変」に参戦しますが、 戦況が不利になると天王山に登り同士16名と共に自刃し志半ばで一生を終えることになります。



このページは ClubTwinHut が運営しています



© 2011 福岡史伝